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ギリシャ神話の神同士の裁判で重要な、
当時の死者と縁の深いものは?

筆者は「美術史」編で、「キリスト教時代に入ってから製作された『ギリシャ神話を題材とする美術作品』のテーマの中でも、バロック〜ロココ期に人気だった『知恵と平和の女神アテナが戦争の神アレスと一騎討ちをして勝ち、平和が守られる』というテーマは実は古代に書かれた神話というよりは、聖書物語で何度か語られる神と悪魔の戦いに影響を受けている面が強い一種の“二次創作”である」ということに何度か言及しています。

 

実はそもそも古代に書かれた(そして散逸せず現代にまで伝わった)ギリシャ神話の世界観では、このように特に要人クラスの神同士(アテナ・アレス共に特に位の高い「オリンポス十二神」の一人とされています)が徹底的に反目し合って争いになった場合には、余程のこと(例えば、「トロイの木馬」などの語源となったトロイア戦争などのような大規模な戦いなど)がない限り基本的にチャンバラになる前に調停か裁判になります。ですから古代神話では、後世の美術作品で強調されるほどアテナとアレスは年がら年中直接チャンバラをしてはいないわけです。

 

ところでこの神同士の調停や裁判の際には、当時のギリシャの人々の信仰の中で死者と縁の深いあるものが重要な役目を果たしているとされました。その「死者と縁の深いあるもの」とは、一体何でしょうか?

 

・・・正解は、「この世とあの世の境界の川の水」です。

『ステュクス川を渡るカロン』ヨアヒム・パティニール

(現代にまで記録が残っている)ギリシャ神話においては、この世とあの世の境目に「ステュクス川」という川が流れているとされています。

このギリシャ神話の例も含めて、「この世とあの世を分ける川や海」が存在するとする信仰は洋の東西を問わずしばしばみられ、日本でもより若い年齢層の人々にも、「三途の河」という川がこの世と死後の世界の境界を流れている、というイメージがよく知られています(但し歴史的にみれば、実は日本でポピュラーな「三途の河」イメージは中世末期〜近世にできたものであり、それ以前にはこの世とあの世を分けているのは「海」と考えられていた面が強く、且つその「この世とあの世を海が分けている」というイメージも、あくまで中世以前には様々あった「この世とあの世の境目」イメージの一つに過ぎないようです)。

 

しかしそれらの様々な「この世とあの世を分ける川や海」像とはかなり異なる側面も、このギリシャ神話でのステュクス川の位置付けには存在します。

 

それは、「ステュクス川の水自体に強い霊力がある」とする信仰です。そのため古代神話では、神同士が反目し合って争いになり調停や裁判が必要であると最高神ゼウスが判断した際には、彼は虹の女神イリスに「ステュクス川の水を汲んでオリンポス山に運ぶ」よう命令し、イリスがそれを実行します。こうして神の法廷にステュクス川の水が持ち込まれると、争いの当事者の神はそれで自分を清め、「ステュクス川に誓って」取り決めを守ると宣誓します。この誓いは絶対であり、特に位の高い神であっても破ってはいけないとされます。

 

またステュクス川の水は人間を不死にする力も持つとする信仰もあり、海の女神テティスは彼女の夫で人間の武人であったペレウスとの間に生まれた子息アキレウスを不死にするため、新生児のアキレウスをステュクス川に浸けたがその際にかかとをつかんでいたためそこだけ川の水に触れず、かかとが彼の弱点となった(アキレス腱の語源)という神話も有名です。

 

 

<参考文献>

辰巳和弘『古墳の思想 象徴のアルケオロジー』白水社、2002

オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020

(以下2記事は、筆者が異なるペンネームを名乗っていた時期に書いた拙記事です)

この世とあの世を分ける「三途川」は、実は川ではなく海だったかもしれない

https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=552

真田家家紋でありながら副葬品としても有名な「六文銭」の意味や意外な歴史

https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=507

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準デジタル・アーキビスト資格所持者
ペットセーバーベーシック・アドバンス資格所持者
せっぱつまりこ

法政大学大学院国際日本学インスティテュート修士課程修了(学術修士の学位有り)。

10代前半から美術史に、1617歳頃から葬儀・埋葬史に強い関心を持つようになるが当時は今と違いSNSやクラウドソーシングが普及しておらず、そうしたことを活かすことができないまま年月を過ごした後ウェブライターとなり、現在ではむしろクイズ原案作者を名乗る。

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