六道の「天道」に生まれるのが良くないのは何故?
六道輪廻という言葉は多くの人がご存知だろう。我々は六道(六趣とも)、すなわち天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道(「道」ではなく「界」とも)、これらの中を生まれ変わって循環しているとされる。
このうち前者3つを三善趣、後者3つを三悪趣とする。しかし、修羅道は争いの絶えない世界ということで良い世界とは言いがたい。そのため、悪趣のほうに分類されたり、地獄道に含めてそもそも五道とする場合もある。
そして、その生まれ変わりの輪から抜け出て(解脱)、仏になること(成仏)が仏教の目的とされる。
しかし、我々の生きる人間界より上の、天人が住むとされる天道に生まれるのは、良い行いをしたためである。想像の通り、そこは人間界より快適な世界とされる。そこに生まれるのを否定されるのは何故だろうか。
まず、天人は人間より優れた特徴を持つとされる。空を自由に飛ぶなどの能力を持ち、寿命も最低ランクの下天でも500歳、しかも、人の一生は下天の1日とされるため、人間換算すると1000万歳以上になる。
さらに、当然のことながら天道の環境は快適で、快楽に満ちているという。そのような場所でのんびりと過ごすことは決して悪くないように思える。
その天道の抱える問題とは死である。寿命は今から人類誕生以前まで遡れるほどあるといっても有限である。しかも、死が近くなると「天人五衰」といわれる兆候が現れる。その5つとは
・衣服が垢で汚れる
・頭上の華鬘(花)が萎えてくる
・身体が汚れて悪臭を発する
・脇から汗が流れだす
・自分のいるべき座席に居たくなくなる
非常にざっくりいうと「臭くて汚くなる」ということだ。単にそれだけではなく、これらの苦しみは『正法念経(しょうぼうねんぎょう)』(『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』とも)によれば「地獄の苦しみの16倍」とされている。
また、上記を大の兆候として、良い声がでない、身体の輝きが失われる、沐浴した際の水が身体に付着する、周囲の光景に執着する、目をしきりにぱちぱちするという5つの小の兆候も現れるという。
四苦八苦という言葉はご存知だろうが、この仏教における根本的な4つの苦しみ、つまり「生・老・病・死」から天人は逃れられていないのだ。
しかも、寿命が尽きた場合、再び六道のどこかに生まれ変わるため、地獄道や餓鬼道といった悪趣に生まれてしまうリスクも抱えている。
一方、この輪廻から逃れれば先述の苦しみなどから逃れることができる。そのためには仏の教えに出会うことが必要だ。
だが、天道ではそれは叶わない、人間道が仏教に出会える唯一の場とされているためだ。天道は一時(一時というには異様に長いが)の快楽を得られる場にすぎない。そうした点で見ると、人間界に生まれたことは天道に生まれる以上に幸運なことといえるのだ。
ジャンル | 社会 |
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掲載日時 | 2020/11/4 16:00 |
学習院大学文学部史学科卒
大正大学大学院仏教学研究科浄土学専攻修士課程修了
高校・大学は剣道部、前職は中学・高校の社会科教員。クイズ作家としてはクイズ研究会やサークル所属経験のない異色の経歴。クイズ番組は好きだったが、プレイヤーとしての経験はアーケードゲームのみ。
僧侶としても、仏教系大学に大学院のみ在籍という極少数派。
有限会社セブンワンダーズ入社後は僧侶とクイズ作家の兼業で活動。法話にもクイズ作成で得た知識や要素を取り入れ、独自性のあるものを展開しているほか、寺院での「仏教クイズ」も企画している。
好きなジャンルは仏教、世界史、サッカー。
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