よみもの|聞くトリビア(読む編)

『YouTube公開』
他の星から寿命を奪う星がある!?
【朗読】とにかく寝たい人のための雑学【聞くトリビア】

『コシヒカリは、東と西で味が違う!?』

『徳川家康が食い逃げをしたことがある!?』

 

とにかくぐっすり眠りたいあなたにおくる、面白雑学動画!

驚きの雑学の数々を、フリーアナウンサー大橋俊夫氏の朗読とともにお楽しみください。


こちらは動画の内容の書き起こし記事です。

音声と一緒にお楽しみください。

ただビンタをし合うだけのスポーツがある

世の中には一風変わったスポーツを愛好する方々も数多くいるようです。アメリカ・ラスベガス生まれの「パワースラップ」、またの名を「スラップファイティング」というスポーツもそのひとつで、これはなんと2人の選手が1対1で交互にビンタをし合い、どれだけ相手にダメージを与えるかを競うという恐ろしい競技です。

ルールはいたって簡単で、片方の選手がビンタをして、相手がギブアップしたり、失神してノックダウンすれば勝ちとなり、場合によっては試合中にレフェリーストップがかかることで勝敗が決まることもあります。これを3ラウンドから5ラウンド繰り返し、それでも決着がつかなければ、審査員がポイントで勝敗を判定します。その際にはビンタの威力や技術、相手へのダメージの大きさなどが評価対象となります。

安全対策として、平手打ちの際には受ける選手の後ろに転倒防止のスタッフが構えて衝撃を緩和しようとするなど、さまざまな策が取られていますが、何度も強いビンタを受けることで脳震盪を起こす選手もおり、あまりにも危険ということから競技の存続も危ぶまれているのが現状です。

長野県の八十二銀行の名前は、足し算

長野県に本店を置く地方銀行、八十二銀行。なぜ、「八十二」という中途半端な数字が銀行の名前についているのでしょうか。それは、1931年の銀行発足時の特別な事情に由来します。

明治時代、全国に多くの国立銀行が作られ、これらは認可された順番に「第一国立銀行」から「第百五十三国立銀行」まで、すべて番号がつけられる形で命名されました。のちにこれらの銀行は民営化されますが、世界恐慌などの影響で経営が悪化し、統合せざるを得なくなる銀行もいくつかありました。長野県上田市の第十九銀行と長野市の第六十三銀行もその一例で、1931年に合併することとなります。その際に銀行名をどうするか検討した結果、両方の数字を足して「八十二銀行」とする案が採用され、新しい銀行名となりました。

ちなみに、それ以前に鳥取市に本店を構えていた「第八十二国立銀行」という銀行も存在していましたが、すでに「第三国立銀行」に吸収されており、当時は存在していませんでした。

にらめっこは、もともと武士の訓練だった

「にらめっこ」といえば子どもの遊びとして知られていますが、江戸時代以前では、大の大人が真剣に行うものとされていました。というのも、かつてにらめっこは、武士の訓練として行われていたからです。

にらめっこがはじまったのは平安時代とされています。当時は「めくらべ」という名前で呼ばれ、戦いの際に武士が迫力で負けないように、正面から敵を見る訓練として行われていました。この時代には笑ったら負けというルールはまだ存在せず、相手の迫力に負けて目をそらしたほうが負けとされていました。

やがて鎌倉時代に入り、この「めくらべ」に新しいルールが加わります。それが現在の「笑ったら負け」というルールです。そして江戸時代になると、「めくらべ」は子どもたちも遊ぶようになり、「にらめっこしましょう」と歌うわらべ歌も登場したことで、完全に子どもの遊びとして定着するようになりました。

日本人の名前にちなんだ長さの単位がある

人の名前が由来となった単位はさまざまあります。電圧の単位「ボルト」や周波数の単位「ヘルツ」も人名に由来するものです。しかし、実際には長さの単位のひとつに、日本人が由来となったものが存在します。

それが「ユカワ」という、10のマイナス15乗(1000兆分の1)メートルを1とする、非常に短い長さを表す単位で、主に素粒子や原子核などの分野で用いられていました。「ユカワ」の名前の由来となったのは、物理学者の湯川秀樹です。彼は、素粒子の一種である中間子の存在を論文で予言した功績により、1949年に日本人として初めてノーベル賞を受賞しました。その偉業をたたえる形で、「ユカワ」という単位が作られたのでした。

しかし、残念ながらこの「ユカワ」という単位は現在ではほとんど使われておらず、代わりに1000兆分の1を意味する国際単位系の接頭語「フェムト」を用いた「1フェムトメートル」という表記が一般的になっています。

美空ひばりは『NHKのど自慢』で不合格となった

昭和を代表する歌姫、美空ひばり。『悲しい酒』や『柔』などのヒット曲を歌い、女性初の国民栄誉賞も受賞するなど、輝かしい業績を残しています。彼女が活躍していた時代に生まれていない人でも、その名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。そんな美空ひばりには、『NHKのど自慢』で不合格になったという驚きの過去があります。

それは、美空ひばりがまだデビューする前の1946年のことで、9歳だった彼女は、当時ヒットしていた曲『悲しき竹笛』を歌い、その歌唱力で審査員や観客たちを唖然とさせましたが、合格の鐘は鳴りませんでした。というのも、当時は「子どもは童謡を歌うべきだ」という偏見が強く、流行歌だった『悲しき竹笛』を歌うのは子どもらしくないということで、不合格となったというのです。審査員の中には「子どもなのにあのような歌を歌うのは化け物のたぐいだ」と批判する者もいました。

しかし、この噂を聞いたレコード会社の関係者たちが美空ひばりに注目し、各地の劇場からオファーが相次ぐようになりました。そして1949年にはレコードデビューを果たし、スターへの道を歩み始めます。

マーガリンに載っている紙は、捨てないほうが良い

新しく買ったマーガリンのふたを開けると、上に薄い紙が貼りついています。ほとんどの人があの紙をそのまま捨ててしまうと思われますが、実は捨てないほうが良いとされています。

あの紙は「硫酸紙」という特殊な紙で、耐水性や耐油性に優れています。これがあることで、マーガリン表面の水分が蒸発せず、変色や乾燥を防いでくれるのです。それは開封後も同様で、紙を載せておけば、その後もずっと変色せず、品質を保ったまま使うことができます。また、髪の毛やほこりなどの異物混入も防げるというメリットがあります。

使うたびにいちいち剥がさないといけないという煩わしさはあるかもしれませんが、味の劣化を防ぎ、衛生的に安全に使うためにも、この紙は捨てずにそのまま残したほうが良いでしょう。

ズボンのポケットの片側しかボタンがついていないのは、銃を取りやすくするため

スーツのズボンのポケットをよく見ると、お尻の左ポケットにだけボタンがつけられています。なぜ右側にはついていないのか、不思議に思われる方もいるでしょう。実はこれ、かつて右側のポケットにあるものを入れていたことに由来しています。

このポケットは「ピスポケット」と呼ばれています。「ピス」とは「ピストル」のことで、かつてこのポケットに護身用のピストルを差していたことから、そう名付けられたと言われています。護身用という性質上、万が一の事態が起きたときには、すぐに取り出す必要がありました。もしボタンがついていたら、それを外す手間がかかってしまいます。そのため、右側のポケットにはボタンがつけられなかったのです。現在もボタンが付いていないのは、その名残というわけです。また、現在ではハンカチをスムーズに取り出せるようにという実用的な理由も加わっています。

では、もう片方のポケットにはなぜボタンがついているのでしょうか。この理由ははっきりとわかっていません。おそらく、単に中に入れた物が落ちないようにするためではないかと考えられています。

日本最初の冷凍食品は、イチゴ

現在、冷凍食品にはさまざまなものが販売されています。揚げ物や麺類、デザートやフルーツなど、「ないものを探すほうが難しい」と言われるほどの充実ぶりです。そんな冷凍食品が日本で初めて販売されたのは、昭和のはじめの頃。では、そのときに販売されたのは何だったのでしょうか。それは実はイチゴでした。

販売したのは、現在のニッスイの前身にあたる「戸畑冷蔵」という企業です。この企業では自社の冷凍技術を使って魚の凍結保存を行っていましたが、魚が不漁になるとその冷凍装置のスペースが余ってしまいます。これではもったいないということで、何か別の食品を冷凍できないかと考えました。こうして誕生したのが冷凍いちごでした。

開発のきっかけは、開発者が子どもの頃に大好きだったイチゴミルクでした。当時、いちごは4月から5月の旬の時期しか食べられませんでしたが、冷凍しておけば、一年中いつでも好きなイチゴミルクを楽しめる、そんな発想から商品化に至りました。

ちなみに、海外で初めて作られた冷凍食品もイチゴでした。これは20世紀初頭にアメリカで、ジャム用のイチゴを冷凍保存する目的で開発されたものが由来となっています。

おもちゃのまちという地名がある

栃木県中南部に位置する町、壬生町(みぶまち)。このあたりを地図で調べると非常に不思議な地名が目に入ります。その名も「おもちゃのまち」。この地名は通称ではなく、れっきとした正式なものです。では、なぜこのような名前になったのでしょうか。

1955年頃、東京の下町にはたくさんのおもちゃ工場がありました。当時のおもちゃ産業は右肩上がりで、どの工場でも生産が追いつかない状況となり、生産設備や工場を拡張しようとしました。しかし、都内の土地価格が高騰していたため、思うように規模を拡大できませんでした。そこで白羽の矢が立ったのが、壬生町でした。

おもちゃ工場側は壬生町への移転を提案し、町側もそれを受け入れました。その結果、工場やそこで働く人たちの団地が建設され、壬生町はおもちゃ産業の一大産地として発展していきます。やがて、工場で働く人や地元の人たちはこの周辺を「おもちゃのまち」と呼ぶようになり、その名称は徐々に広く使われるようになりました。1964年には東武鉄道がこの周辺に駅を建設する際、「おもちゃのまち駅」と通称を駅名に採用したこともあり、1977年に正式な町名となったのです。

ヒマラヤスギは、スギではない

ヒマラヤ地方の北西部やカシミール地方などの高地に自生する常緑高木、ヒマラヤスギ。日本でも皇居外苑などで見ることができます。そんなヒマラヤスギですが、「スギ」とつくからには、スギの木の仲間だと思われるかもしれませんが、実はそうではありません。

ヒマラヤスギはスギではなくマツの仲間で、他のマツと同じようにちゃんと松ぼっくりも実らせます。ではなぜマツなのに「スギ」という名前がつけられたのかというと、ヒマラヤスギが日本にやってきたとき、和訳の際に間違って伝わったという説が有力です。一方で、葉の形がスギに似ているためにその名がつけられたという説もあります。

ただ、最近ではマツなのにスギは紛らわしいという理由から、ヒマラヤスギではなく、英語名に由来する「ヒマラヤシーダー」という名前で呼ばれることが多くなっています。

トビウオの飛距離は、400m以上

水面を飛び跳ねて移動することで知られるトビウオ。この習性は、敵に追われて水面近くまで追い詰められたときに逃げる手段として、進化の過程で身につけた能力だとされています。さて、そんなトビウオ、実際にはどれくらいの距離を空中移動できるかというと、なんと最高で400mほどにもなります。

400mといえば、陸上のトラック1周と同じ距離です。なぜそれほどの距離を跳ぶことができるかというと、それは、トビウオが持つ胸びれや腹びれが他の魚に比べて大きく、これらを翼のように広げて滑空することができるからです。このひれをグライダーのように使って滑空することで、400mもの空中移動を可能にしているわけです。

こんな形で敵から逃げられるとなると、まるで無敵のように思えますが、飛行中に鳥に捕まってそのまま食べられてしまうこともあるそうです。どうやら、トビウオにとって安住の地はないようです。

ワニは水の中で移動するために、石を飲み込む

川の中などで生息するワニですが、実はワニは肺の中の空気が浮袋のようになってしまうため、そのままでは水中に沈みにくく、思うように泳ぐことができません。しかし、そんな彼らは、ある工夫によって水中でも自由に動けるようにしています。その工夫とは、なんと石をそのまま飲み込んで、おもりとして活用することです。

ワニは人間のように食べ物を歯で噛んでから飲み込むのではなく、丸呑みして胃の中で消化します。そのため、どんな硬い石でも問題なく体内に取り込むことができます。何個も石を飲み込むことで肺の空気とのバランスを調整し、水中でもスムーズに移動できるようにしているのです。

また、石を飲み込むことにはもうひとつの目的があります。それは、胃の中で石が食べ物をすりつぶすことで、消化を助ける働きをしているのです。いわば、石が歯の代わりの役割を果たしているというわけです。

ちなみに、かつて水中で暮らしていた恐竜のプレシオサウルスも、同じ目的で石を飲み込む習性があったそうです。そう考えると、ワニはまさに現在に生きる恐竜と呼んでも過言ではないのかもしれません。

バンジージャンプはもともと、成人になるための儀式だった

スリルを楽しむためのアクティビティ、バンジージャンプ。その起源は南太平洋の島国バヌアツのペンテコスト島にあります。

ここでは「ナゴール」と呼ばれる、村の青年が大人になるための儀式が行われています。足首に芋のつるを縛りつけた青年が、高さおよそ30mにもなる櫓の上から飛び降りて、その勇気を証明するというものです。木のツタを利用するため、ゴムのように伸縮性はなく、身体には大きな衝撃がかかります。また、万が一ツタが切れた場合は命にも関わる可能性もあるため、使用するツタは飛び降りる本人が慎重に選びます。

そして1980年代、この儀式に感銘を受けたニュージーランドの起業家・ハケットさんが、地元のカワラウ川にかかる高さ47mの橋から、足にゴムをつけて飛び降りることに成功しました。これが世界初のバンジージャンプと記録されています。つまり、バヌアツの成人儀式がバンジージャンプの由来となったのです。

ちなみにこのハケットさん、バンジージャンプを世界に広めるため、パリのエッフェル塔から飛び降りたこともあります。確かに話題となりましたが、無許可で飛び降りたために、パリ警察に逮捕されています。

子どももぎっくり腰になる

ぎっくり腰といえば、中年以降の人がなるものというイメージが強いでしょう。しかし、驚くべきことに小学生でもぎっくり腰になったという話もあり、決して若い人がならないわけではありません。

ぎっくり腰の原因として一般的に考えられるのが、加齢による体の老化です。若いときと同じような感覚で物を持ったり激しい運動をすると、老化で弱った体が耐えきれず、ぎっくり腰を発症してしまいます。しかし、子どもの場合はそのような理由は当てはまりません。ではなぜ子どもでもなるのかというと、部活などで筋肉を使いすぎた後にストレッチなどでほぐすことをしなかったために、筋肉が硬くなってしまったことが原因と考えられます。一般的には運動不足が原因で筋肉が硬くなると言われますが、適度なストレッチをしないと筋肉はほぐれず、体に悪影響を及ぼします。

ぎっくり腰の原因のひとつには、腰回りの筋肉や靭帯が硬くなって損傷しやすくなることがあると言われています。運動をする際には、どのようにして筋肉を伸ばすかに注意し、十分なストレッチを行うことが大切です。

トルコには、髪の毛の博物館がある

世界遺産としても有名なトルコ中央部に位置するカッパドキア。不思議な形をした岩山が立ち並ぶ風景でおなじみですが、ここにはもうひとつ、別の不思議なものが見られる観光スポットがあります。そのスポットとは髪の毛を展示している博物館です。

これはカッパドキアの「アバノス博物館」で、この地に住む陶器店の店主が趣味で髪の毛を集め、展示しています。もともとは店主が、地元を離れるガールフレンドを寂しく思い、お願いしてその女性の髪の毛をプレゼントしてもらったことがきっかけ。そこから収集がはじまり、現在では1万5000人以上の女性の髪の毛がコレクションされています。

展示方法は非常に不気味で、髪の毛には持ち主の出身地とニックネームが書かれた札がつけられ、天井や壁などいたるところに吊るされています。一面に髪の毛が並んでいる風景は異様なものですが、多くの観光客が興味深く眺めており、中には店主の考えに共感したのか、その場で自ら髪の毛を提供する女性客もいるとのことです。

入場は無料なので、トルコに行った際には訪れてみてはいかがでしょうか。ただし、髪の毛を提供できるのは女性に限られています。

ベトナムのサンダルはタイヤを再利用している

東南アジアの国、ベトナムではユニークなサンダルが広く履かれています。その名も「ホーチミンサンダル」。ベトナム革命の指導者、ホー・チ・ミンの名前がつけられています。このサンダル、一見何の変哲もありませんが、実はトラックや飛行機などに使われていた廃タイヤを材料にして作られているのです。

誕生するきっかけはベトナム戦争でした。当時はあらゆる物資が不足しており、靴もその例外ではありませんでした。そんな中、南ベトナム解放戦線(ベトコン)の兵士たちは、使い古されたトラックのタイヤを利用してサンダルを自作しました。これが違和感もなく、非常に耐久性に優れていたため多くの兵士に利用されるようになり、戦争が終わってからも、兵士はもちろん、一般の人も利用するようになったのです。「ホーチミンサンダル」という名前は、戦争時にホー・チ・ミンが実際にこのサンダルを愛用していたことに由来しています。

現在では、廃タイヤをリサイクルしているという点で環境に優しいことからも注目を集めています。また、デザインに工夫を凝らしたものもあり、ファッションアイテムとして取り入れている人も増えてきているそうです。

落石注意で注意しなければならないのは上だけじゃない

自動車で山道を走っている時にたまに見かける「落石注意」の標識。「注意したところで、いつ落ちてくるかわからないのだから、意味がないんじゃないか」と思ったことがある人もいるかもしれません。しかし、あの標識で注意すべきなのは、上から落ちてくる石だけではありません。実は、すでに落ちている石にも注意が必要だという意味も含まれているのです。

「落石注意」の標識は、過去にあった落石事故のデータをもとに、落石の恐れがある場所に設置されています。走行中に石が落ちてくる可能性があるということは、すでに石が落ちている可能性もあるというわけです。路面に落ちている岩に接触して事故につながることも考えられるため、上だけでなく下にも注意を払う必要があります。

ちなみに、一年のうち、落石が発生しやすい時期は春です。これは、山に積もっていた雪が溶け、その水分で地盤が緩むことが原因です。春に「落石注意」の標識がある山道を走行する際は、より慎重な運転が求められます。

イヌとネコは、もともと同じ動物

ともにペットとして人気の動物、イヌとネコ。それぞれに魅力があるため、どちらかを選ぶとなると難しいと思う人も多いかもしれません。そんなイヌとネコですが、実は歴史を遡ると、共通の祖先を持っていたとされています。

その動物とは、およそ4500万年から6500万年前に生息していたとされる「ミアキス」で、体長はおよそ30cmほど、細長い体と長い尻尾を持ち、イタチに似た姿をしていたと言われています。ミアキスはもともとは他の動物から身を守るために森の木の上で生活していましたが、やがて森の中でも生存競争が激化したため、一部は木の上から草原へと生活の拠点を移します。こうしてミアキスは、草原で生活するグループと森にとどまるグループに分かれていったのです。

やがて年月が過ぎ、多くの動物が進化していきました。それはミアキスも同様でしたが、草原で生活していたミアキスはイヌに、森で生活していたミアキスはネコにと、それぞれ異なる進化を遂げたというわけです。

ナイチンゲールが看護師をしていたのは、2年間だけ

イタリア生まれのイギリスの看護師、フローレンス・ナイチンゲール。看護師の代名詞としてその名が知られていますが、実は彼女が看護師として活動していたのはわずか2年ほどでした。

1853年にはじまったロシアとトルコなどの連合軍との間で行われたクリミア戦争で、ナイチンゲールは負傷兵が収容された病院の看護団団長として派遣されました。その病院では衛生状態が極めて悪く、感染症が広がり、多くの兵士が命を落としていました。ナイチンゲールはそこで衣類やシーツなどの洗濯や病室の掃除、負傷兵に食事を作って提供するなど、当たり前ながらその病院では行われていなかったことを実行し、その結果、多くの負傷兵の命を救いました。

そして2年ほどたって戦争が終わり、イギリスに帰ったナイチンゲールですが、あまりの過労により健康を損ない、長年病床で過ごすことになります。そのため、看護師として現場での活動はできなくなりました。しかし彼女は看護学校を創設するなど、別の立場から看護に携わり、看護の世界に大きな功績を遺しました。

ちなみに、病室に設置されているナースコールや、看護師が集まるナースステーションを最初に導入したのはナイチンゲールです。彼女の功績はこうしたところにも残っています。

ドイツが第一次世界大戦の賠償金を支払い終えたのは、2010年

2010年、あるニュースが新聞に掲載され、話題となりました。その内容は、ドイツが1918年に終結した第一次世界大戦の賠償金の支払いを、21世紀に入ってようやく完了したというものです。

第一次世界大戦後、敗戦国であるドイツは連合国と講和条約であるベルサイユ条約を締結し、その際に賠償金の支払いを命じられました。その金額は1320億マルク、現在の日本円にしておよそ200兆円に相当します。この額は当時のドイツの国家予算の数十年分に匹敵するもので、戦争に負けたばかりのドイツの経済状況は低迷していたため、これだけの賠償金を払う余裕はとてもありませんでした。

しかし、アメリカの資金協力により復興が進んだことで経済状況も改善し、賠償問題も解決するかと思われましたが、その後に起こった世界恐慌の影響で支払いは再び滞ることとなりました。さらに、第二次世界大戦の勃発により返済は中断され、再開したのは終戦後の1953年のことです。そして、条約締結から90年以上かけて、ついに支払いが完了したのでした。

飛行機のタイヤには空気は入っていない

飛行機のタイヤは直径1m以上もある特大サイズです。そのため、それだけのタイヤを膨らませるには、相当な空気が必要だと思われがちです。しかし、実は飛行機のタイヤには空気は入れられておらず、代わりに窒素ガスが入っています。

では、なぜ窒素ガスが利用されているのかというと、それは、窒素ガスは空気と違い、温度や圧力の影響を受けにくい性質を持っているからです。飛行機は高いところを飛行します。たとえば、高度1万m付近だと、気温が摂氏マイナス60度まで下がるという、極めて過酷な環境にさらされます。このような状況下では、空気中の水分が凍結し、タイヤ内の圧力が急激に低下する恐れがあります。そのため空気ではなく、窒素ガスが充填されています。

また、着陸時にはタイヤは滑走路との摩擦により、表面は非常に高い温度にさらされます。もし、タイヤ内に酸素が含まれた空気が充填されていると、酸素の物の燃焼を助ける性質により、タイヤが火災や爆発を起こす危険性があります。

さらには、窒素はタイヤに使われているさまざまな素材を酸化させる、すなわち錆びさせることがありません。こうしたさまざまな理由から、飛行機のタイヤには窒素ガスが使われているのです。

伊賀忍者と甲賀忍者は、実は仲が良かった

忍者といえば伊賀忍者と甲賀忍者。一般的には、互いに敵同士でしのぎを削り合っていたというイメージがあります。しかし、歴史を紐解いてみると、実際に敵対していた記録はなく、むしろ協力関係にあったとされています。

このことは、2018年に見つかった文書の中で明らかになっています。文書には、戦国時代に伊賀忍者と甲賀忍者が、近く野外集会を開く予定である、といった内容が記されていました。

そもそも、伊賀忍者は忍術や戦闘能力に優れ、実際の戦闘で活躍していたとされています。一方、甲賀忍者は隠密活動や情報収集を得意とし、命令があれば全国各地で工作活動を展開していました。すなわち、活動のフィールドが違うため、それぞれの特性を活かして協力し合うのは自然なことだったのかもしれません。

ただし、後に小説や時代劇などで対立構造が描かれたことにより、そのイメージが定着してしまいました。現在では、三重県伊賀市と滋賀県甲賀市では忍者を前面に押し出した観光戦略で連携を進めています。今後、伊賀と甲賀がライバルだったというイメージは、徐々に払拭されていくかもしれません。

韓国語で「辛い」を表す言葉は、10種類以上ある

お隣の国、韓国の料理といえば「辛い」というイメージが強いかもしれません。そういう文化があるためか、韓国語では「辛い」という意味を持つ表現が非常に多く、状況に応じて使い分けられています。

一般的には「メプタ」という言葉がよく聞かれます。これは普通に唐辛子などによる「辛い」という意味の言葉です。ただし、この「メプタ」はあくまで標準的な辛さを表す言葉であり、これよりも弱い、あるいは強いものを示す表現が、段階的に複数存在します。

たとえば、軽くピリッとした辛さを表すときは「メコマダ」という表現が使われ、とても辛い状態は「メクマダ」、舌がひりひりするほど辛いことは「メオマダ」、さらに辛く舌が痺れるときは「アリダ」、辛さが強く口の中がヒリヒリする場合は「オルオラダ」といった表現があります。また、唐辛子ではなく塩辛さを表現したい場合は「チャダ」という言葉が用いられます。

これらの辛さの表現は、10種類以上、一説では20種類以上あるとも言われています。それだけ、韓国では辛さに対する感覚や表現が非常に細やかで、強いこだわりがあるということなのかもしれません。

甲子園球場のグラウンドでは、かつて芋が栽培されたことがある

開場してから100年以上の長い歴史を誇る甲子園球場。阪神タイガースの本拠地球場として、そして高校野球の聖地としてその名を馳せていますが、かつてはここに軍需工場が入り、グラウンドで芋が栽培されていたことがありました。

これは1944年のことで、当時、日本は太平洋戦争の真っ只中にあり、国民全体が戦争へと駆り出され、社会全体が困窮していました。娯楽も厳しく制限され、当然ながら野球も行うことができませんでした。現在の「夏の甲子園」にあたる全国中等学校錬成野球大会も一時中止になっています。そのため、甲子園球場も野球場の役割を失い、外野スタンドの下に軍需工場が設けられ、グラウンドの外野部分は軍用トラック置き場に、内野部分は芋畑に転用されました。また、メインスタンドを覆っていた「第鉄傘(だいてっさん)」と呼ばれた屋根も、軍への金属供出のために撤去されています。甲子園は、太平洋戦争中にその姿を大きく変えられ、かつての輝きを失っていきました。

戦争が終わると、一時はアメリカ軍に接収されましたが、後に日本に返還され、現在のような野球の聖地として再び歩み始めます。このように、甲子園球場にも、戦争に翻弄された悲しい過去があったのです。

1000本もの足がある生き物がいる

2012年、オーストラリアでとても奇妙な生き物が発見されました。それはヤスデの一種「エウミリペス・ペルセポネ」というもので、深さ60mの地中に生息するという珍しい生態も注目されました。しかし、それ以上に人々を驚かせたのが、全長10cmの細長い体に、なんとおよそ1300本もの足があるという点でした。

通常のヤスデの足の数は多くてもだいたい80から100本ほどであるため、このヤスデはその10倍以上の足を持っていることになります。

なぜこれほど足が多いのかというと、このヤスデが地中生活に適応して進化してきたためだと考えられています。土の中の狭い空間を移動するには、体全体を同じ方向に動かすのではなく、体の一部を下に、別の部分を上に向けるといった柔軟な動きが求められます。このヤスデはそうした動きを可能にする体の構造を持っており、それぞれの節に多くの足がついていることで、土の中でもスムーズに移動できるのです。すなわち、地中生活に順応した結果、体が進化し、このような姿になったというわけです。

ちなみに、ヤスデの新種は現在でも世界各地で次々と発見されているといいます。もしかすると、エウミリペス・ペルセポネよりも足が多い品種が、将来的に発見される日が来るかもしれません。

ロンドンのホテルのひと部屋が、一日だけ別の国の領土になったことがある

第二次世界大戦中の1945年、イギリスのロンドンにあるクラリッジスホテルの212号室が、1日限定で旧ユーゴスラビアの領土になったという話があります。

当時、旧ユーゴスラビアの国王ペータル2世夫妻が戦火を逃れイギリスに亡命し、このホテルに長期滞在していました。その途中、王妃が子どもを身ごもりました。しかし、ユーゴスラビアでは、国内で生まれた王子しか王位を継承することができないという法律がありました。もし、このホテルで子どもが生まれた場合、その子どもは正式な後継ぎと認められない可能性があったのです。

そこで、当時のイギリス首相チャーチルが、出産日限定で彼らが滞在していたクラリッジスホテルの212号室をユーゴスラビアに割譲すると宣言しました。こうすることで、国王夫妻はユーゴスラビア国内で出産したことになり、生まれた子どもも正式に王子として認められることになったのです。

しかし残念ながら、そのわずか数ヶ月後、ユーゴスラビアは王制を廃止し、ユーゴスラビア連邦人民共和国が成立しました。チャーチルの粋なはからいでしたが、結果的には実を結ぶことはありませんでした。

缶ジュースには、かつて穴をあけるための道具がついていた

現在、ジュースなどはペットボトルが主流になってきましたが、それでもまだ缶入りドリンクは自動販売機などでよく見られます。これらの缶は普通「タブ」と呼ばれる部分を引き上げて飲み口を開けて飲みます。しかし、1954年に日本で初めて発売された缶ジュースにはタブがなく、缶切りを使わないと開けることができませんでした。

というのも、当時まだ飲み口を簡単に開ける構造が実現されていなかったため、飲むには一度缶切りでフタを開ける必要があり、手軽に飲めるとは言いがたく、あまり普及しませんでした。

さすがにこれではダメだということで、1957年には「オープナー」という付属品がついて発売されました。オープナーとは、先がとがったタイプの缶切りで、これを使って缶に飲み口用の穴と空気を入れて飲みやすくするための2つの穴を開ける必要がありました。しかし、それでも開けにくさは解消されず、飲み物が吹き出すことも多かったといいます。

道具を使わず指で簡単に開けられるタイプの缶が登場したのは1965年のことでした。この改良により、ようやく缶ジュースが大ヒット商品の仲間入りを果たしたのです。

カナリアとは、ラテン語で「犬」のこと

よくペットとして飼われている人気の小鳥の品種、カナリア。「カナリア」という名前は、もともとはラテン語に由来してつけられたものですが、この「カナリア」、日本語に訳すと「イヌ」という意味になる言葉なのです。

もともと「カナリア」という名前は、スペインのカナリア諸島が原産地であることから名付けられたものです。このカナリア諸島は、かつてローマ人が初めて上陸したときに、多くのイヌがいたため、ラテン語で「イヌの島」を意味する「Insula Canum(インスーラ カヌム)」と名付けられました。そして時代が流れるにつれ、この「カヌム」が変化して、現在の「カナリア」という地名になったわけです。このことから考えると、結果的に「カナリア」は、「イヌ」を意味する言葉から名付けられたことになります。

ちなみに、カナリアが日本にやってきたのは江戸時代末期頃で、当時は非常に高級な鳥として考えられており、オスとメスのペアを購入するのに、現在の価格で200万円ほどの値段がつけられてたそうです。

高濃度の酸素は、吸うと中毒になる

ニュースなどで「一酸化炭素中毒」や「二酸化炭素中毒」といった言葉を聞くことがあると思います。これらは有害な気体であるため、このような中毒症状が起こるんだろう、逆に酸素のような吸っても害がない気体はどれだけ吸っても大丈夫、と考える人もいるかもしれませんが、実は酸素を吸いすぎても「酸素中毒」なる症状を起こし、体に害を及ぼす可能性があります。

酸素が呼吸によって体内に取り込まれると、その一部が「活性酸素」という物質に変化します。この活性酸素は体内で過剰に増えると、神経や肺に害を与えたり、細胞を酸化させて老化や動脈硬化を引き起こしたりします。さらには、遺伝子に損傷を与えることで、ガンの原因になることもあります。

ここまで聞くと、酸素を吸うことに不安を感じる人もいるかもしれませんが、ある程度まで活性酸素が増えても、それを除去する体内の防御機能が備わっているため、通常の生活の中で酸素中毒になることはほとんどなく、いたずらに心配する必要はありません。

水戸黄門は、7人いた

かつての時代劇を代表する主人公のひとり水戸黄門。クライマックスで印籠を見せて悪者どもをひれ伏せさせるシーンもおなじみでした。そんな水戸黄門ですが、実は時代劇で活躍していた人物以外にもあと6人、つまり合計で7人、「水戸黄門」と呼ばれる人物が存在していました。

というのも、水戸黄門の「黄門」とは当時の身分である「中納言」の別名で、ドラマ『水戸黄門』で主人公を務めた黄門様は徳川家康の孫にあたる水戸徳川家第2代当主の徳川光圀ですが、光圀以外にも中納言に任じられた水戸藩主が6人いました。彼らもすべて水戸藩の黄門、つまり「水戸黄門」だったというわけです。

ちなみに、テレビでおなじみの水戸黄門こと徳川光圀が日本全国を巡って悪を退治するという話は、すべてフィクションです。これは江戸時代末期から明治にかけて、講談の世界で徳川光圀が活躍する物語が語られるようになり、そのようなイメージが定着していったということのようです。

韓国では洗濯物を煮る

普通、洗濯するときは、洗濯機で服を洗い、その後干して終わりますが、お隣の国・韓国では洗濯機から服を出した後にもうひとつ工程が加わります。それはなんと、洗濯物を鍋などに入れて煮るというものです。

これは、日本と韓国の水の質の違いが大きく関わっています。日本の水は「軟水」と呼ばれる、マグネシウムとカルシウムの含有量が少ない水が多く分布しています。軟水は洗濯に適しており、洗濯機で洗うだけで洗濯物の汚れを落とすことができます。しかし、韓国の水は逆に、マグネシウムとカルシウムが多い「硬水」と呼ばれる水が主流です。硬水では、一度洗濯してもなかなか汚れが落ちにくいため、鍋などで煮る工程を加えることで、汚れをしっかり落としているのです。

ただ、最近ではその工程を面倒だと考える人が多いようで、「煮沸」という機能がついた洗濯機も販売されています。また、韓国の洗濯機は汚れをしっかり落とせるよう、日本のものより洗浄力が強めに設計されています。そのため、デリケートな服を洗うときには注意しないと、すぐにボロボロになってしまうこともあるそうです。

「どっこいしょ」とは、もともと山を登るときに唱えていた呪文

ちょっと年配の方であれば、物を持ち上げたり、立ち上がったりするときに「どっこいしょ」と言うことも多いのではないでしょうか。この「どっこいしょ」は、もともと仏教の世界で聞かれる四字熟語「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が語源とされています。

「六根清浄」の「六根」とは、視覚をつかさどる「眼根(げんこん)」、聴覚をつかさどる「耳根(にこん)」、嗅覚をつかさどる「鼻根(びこん)」など、6つの感覚器官の総称です。この六根によって煩悩が生じると考えられており、修行僧は修行を通じて、この六根から生じる煩悩を断ち切り、清らかな存在になろうと目指します。この清らかな境地のことを「六根清浄」と言います。

修行僧は、山に修行に行くとき、その精神を忘れないために「六根清浄」と唱えながら山を登っていました。それが次第になまって「どっこいしょ」になったと言われており、やがて修行僧だけでなく、一般の人々も掛け声として使うようになりました。

味噌汁の味噌を溶かすときに、刻みネギを入れるとすぐに溶ける

味噌汁を作る時、味噌が完全に溶け切るまで時間がかかって、もどかしさを感じたことがある人も多いのではないでしょうか。しっかり溶けていないまま作ると、味が薄くなったりして、せっかくの味噌汁が台無しになってしまいます。ですが、ある工夫をすれば簡単に味噌を溶かすことができます。

その工夫とは、味噌に刻みネギを混ぜることです。味噌をおたまに取って溶かすときに、そこに刻みネギを加えて箸で混ぜると、驚くほど簡単に味噌が溶けます。

なぜネギを加えると早く溶けるのかというと、刻みネギにはある程度の固さがあり、味噌をかき混ぜる力が箸だけで混ぜるよりも強く働くからです。そのため、先にだし汁にネギを入れて煮てしまうと、ネギがフニャフニャになり、混ぜる力が弱まり、味噌がうまく溶けなくなります。したがって、ネギは味噌を溶かすタイミングで加えるのがポイントです。

この方法はネギだけでなく、じゃがいもや大根など、ある程度の固さがある食材であれば応用可能です。今まで味噌汁を作るときにイライラしていた人は、一度試してみてはいかがでしょうか。

口の中で子どもを育てる魚がいる

アフリカの湖、マラウイ湖やヴィクトリア湖に生息する魚には、非常に変わった子育てをすることで知られている種類があります。どのような方法かというと、メスが卵を口に含み、口の中で孵化させた後、稚魚がある程度成長するまで育てるというものです。

このような育て方をする魚を「マウスブルーダー」と呼びます。マラウイ湖に生息するアフリカンシグリッドもその一種で、卵を産むたびに口に入れて育てますが、稚魚が口の中に入っている間は一切エサを食べません。そのため、それまでに十分栄養を蓄える必要があります。

なぜ、このような変わった育て方をするかというと、卵や稚魚を外敵から守るためです。せっかく卵を産んでも、孵化される前の状態や小さいうちに食べられてしまっては意味がありません。子孫を確実に残すため、親は必死で守っているというわけです。

ただ、口の中に入れていると、食べてしまわないのかと思う人もいるかもしれません。実は、ストレスがたまった親魚は、ストレス発散のために子どもを食べてしまうこともあります。そのため、熱帯魚ファンの間では、アフリカンシグリッドを飼育する際には過度にストレスを与えないように細心の注意を払っているそうです。

日本初のアイスクリームは、今なら8000円

日本に初めてアイスクリームのお店が誕生したのは1869年(明治2年)のことでした。町田房蔵という人物が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」がその店で、牛乳、砂糖、卵黄を材料にした非常にシンプルなアイスクリームを扱っていました。しかしこのアイス、当時はあまり売れなかったそうです。というのも、価格が現在の価値に換算すると、なんと8000円ほどもしたからです。

小さなガラスの器にひと盛りだけという量の少なさもあり、庶民には手が出せず、実際に食べたのは外国人と一部の富裕層だけだったそうです。なぜこれほど高価だったかというと、当時はまだ氷の製造や輸送技術が確立しておらず、函館で切り出した氷を送ってもらっていたため、その費用がかさみ、結果的に価格が高くなってしまったというわけです。

現在のようにアイスクリームが気軽に食べられるようになったのは、大正時代に入ってからです。この頃には技術も発達し、大正中期には製造の工業化も成功しました。それにより家庭で手軽に楽しめるようになり、アイスクリームは国民に親しまれる定番デザートの地位を占めるようになったのです。

お米のコシヒカリは、東西で味が違う

コシヒカリといえば、ほぼ全国で栽培されている日本を代表する米として、その名が知られています。そんなコシヒカリは、東日本と西日本、どちらで栽培されているかによって、味に大きな違いがあるというのはご存じでしょうか。

近畿より西の西日本で栽培されるコシヒカリは、水分量が少なく歯ごたえがしっかりしている反面、粘りが少なく、甘みやうまみも他の産地に比べて控えめになっています。一方、東日本のコシヒカリは、柔らかくて粘り気があり、甘みもうまみも強い傾向にあります。

このような違いは、産地による気候、土壌、水質の違いが大きく影響しており、また昼と夜の寒暖差が大きいと、粘りや甘みが強くなります。東日本のお米の粘りと甘みが強いのは、こうした気候条件の影響が大きいとされています。

また、最近のお米のコンクールで上位入賞しているのは長野県や岐阜県といった標高が高く、冷たくきれいな水が豊富なところで栽培されているものが多いそうです。

長さ4m以上のゴルフクラブがある

ゴルフクラブのシャフト、すなわち柄の部分の長さは、通常1mほどで、ルールでは46インチ、116.8cm以下でなければならないと定められています。ただし、それはあくまで競技としての規則の話で、競技以外の世界ではとんでもない長さのゴルフクラブが作られています。

2012年、デンマークのプロゴルファーが全長4.37mのドライバーを製作しました。しかも実際にボールを打って、およそ165mもの距離を飛ばしています。その後、2016年にアメリカのゴルファーが全長8.56mのゴルフクラブを作り、こちらも実際にボールを打って53m飛ばしました。やはり長すぎて打ちにくかったのか、飛距離は相当短くなっています。

さすがにこれ以上長いゴルフクラブは登場しないだろうと思われた矢先、2020年になんと8.56mの倍近くになる全長15.57mのゴルフクラブが誕生しました。こちらも実際に使用して、ボールを45.95m飛ばすことに成功しています。

当然、これらはそれぞれ製造当時、ギネス世界記録に登録されています。今後、さらに長いクラブが登場する可能性もあるのではないでしょうか。

人間の手で掘られた深さ1万m以上の穴がある

1970年、旧ソ連は北西部のフィンランドとの国境付近にあるコラ半島で、あるプロジェクトをスタートさせました。その名も「コラ半島超深度掘削坑」です。地下1万5000mの位置まで穴を掘るという壮大な計画でした。

なぜ、このようなプロジェクトを立ち上げたのかというと、当時のソ連はアメリカと冷戦の真っ只中で、熾烈な覇権争いが繰り広げられていたからです。科学分野にも当然その影響はおよび、いかに相手国よりも早く技術を獲得するかが競われていました。そこで、ソ連が注目したのが「地底」でした。地底を調査し制することで、アメリカより一歩先を進めると考えたのです。

当初、その計画では地下1万5000mに到達を目指し、掘削開始から19年後には深さ1万2000mまで到達しました。しかし、この地点で気温は摂氏180度を超えており、1万5000mまで達する頃には300度を超えると推定されました。そうなると採掘に使用していたドリルなどが機能しなくなると判断され、1992年にプロジェクトは志半ばで中止されました。

最終目的こそ達成できなかったものの、このプロジェクトで得られたデータは地球科学分野の研究に利用され、エネルギー資源開発などに役立ったため、決して無駄な挑戦ではありませんでした。

佐賀県佐嘉(さが)神社では、年明けに大砲が放たれる

佐賀市内にある佐嘉神社は、1933年に創建され、佐賀藩の第10代藩主・鍋島直正、および第11代藩主・鍋島直大(なおひら)が祀られています。

この神社の境内には、佐賀藩が製造した大砲の一種であるカノン砲とアームストロング砲が復元されたものが置かれており、神社の名物となっています。そして、このカノン砲を用いて、年明けを祝う「カノン砲祝砲神事」が毎年行われています。

この神事は、1月1日午前0時から計8発の祝砲を放つもので、佐嘉神社の恒例行事となっており、多くの参拝客が初詣を兼ねてその瞬間を一目見ようと集まります。祝砲が放たれる瞬間はものすごい轟音で、近くにいると耳がやられてしまいます。そのため、毎回発砲のたびに注意を促すアナウンスが流れます。

また、この神事以外にも、毎年12月に佐賀藩の功績をたたえる「反射炉まつり」でカノン砲が放たれます。興味がある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

徳川家康は、食い逃げしたことがある

江戸幕府初代将軍・徳川家康。その偉業は誰もが知るところですが、実はまだ家康が将軍の座についていなかった戦国時代の中頃に、食い逃げをして店の人に捕まえられたという恥ずかしい過去があります。

1572年、徳川家康は武田信玄と、現在の静岡県浜松市付近を舞台に戦いを交えました。日本史で有名な「三方ヶ原の戦い」です。この戦いでは家康は武田軍に敗れ、命からがら浜松城へ逃げ帰ることになります。その途中で家康は一軒の茶屋を見つけて立ち寄ります。そこで家康は小豆餅を注文して食べますが、途中で武田軍の追手が現れたため、小豆餅の代金を払わず、慌てて逃げ帰ろうとします。しかし、それを見た茶屋のおばあさんは家康を食い逃げと思い、追いかけました。走って逃げる家康を、おばあさんはなんと半里ほど、およそ2kmも追いかけて捕まえ、代金を支払わせることに成功します。

浜松市には「銭取(ぜにとり)」という地名があります。実はこの「銭取」、家康がおばあさんにつかまった場所であり、このエピソードが名前の由来となっているのです。また、おばあさんが働いていた茶屋があった場所には「小豆餅(あずきもち)」という地名がつけられています。

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