よみもの|雑学記事|歴史

平和の神が戦争の神を打ち負かす神話画の「新展開」とは?

ルネサンス時代以降の西洋美術では、ギリシャ神話を題材にした作品が盛んに制作されました。その中には、実は古代に書かれたギリシャ神話には存在しなかったか、したとしても余り重要でないとされ深入りした語りがされなかったエピソードを扱った、いわば二次創作というべき作品も多くあります。

そうした二次創作的な作品の中には、ギリシャ神話の登場人物を古代の神々(と、周囲の人間)というよりは様々な抽象的な概念の擬人化キャラクターとして描写したものが多く、これらの作品は神話を題材にしたというよりは抽象的な概念を視覚化したものとされ「寓意画」と呼ばれます(補足すると、古代の神話で重要とされたエピソードを「元ネタ」とする寓意画も中にはあります)。

そうした「寓意画」としての神話画のテーマの中でも、ヨーロッパ各地で武力衝突が絶えなかったバロック〜ロココ時代に平和の到来を願う意味もあってよく取り上げられたテーマの一つが、「知恵と平和の女神アテナ(ローマ名ミネルヴァ。美術作品のタイトルではしばしば、ギリシャ神話の登場人物はローマ名になりますが、ここではギリシャ名で呼びます)が、戦争の神アレス(ローマ名マルス。英語発音のマーズの方が日本では馴染みがあるでしょう)と一騎打ちをして打ち負かし、平和が訪れる」というものです。

このテーマの「元ネタ」というべきエピソードとしては、強いていえば例えば「トロイの木馬」などの語の由来となった「トロイア戦争」の際、アレスは(負けて滅ぼされた)トロイア国軍を支援しアテナは(勝った)ギリシャ諸国連合軍を支援したというものが挙げられますが、この2神が直接チャンバラをしてアテナが勝った、という場面は(少なくともトロイア戦争を描いた古代の叙事詩『イリアス』には)ありません。そして古代神話でのアテナは「戦略的な戦いの神」としての面はありますが、「戦争を積極的に止める平和の神」としての側面は必ずしも強くありません。

一方、洋の東西を問わず様々な宗教にしばしばみられる、「善の神(に当たる存在)が悪の神(に当たる存在)と争い、最終的に善の神が勝ち平和が訪れる」という神話という点からみると、西洋ではむしろ、聖書物語の中の神と悪魔が争い最終的に神が勝利して平和が訪れるストーリー(旧約聖書の『ヨブ記』、新約聖書の『ヨハネ黙示録』など)がメジャーであり(実際、こちらの神と悪魔の対決シーンも複数の美術作品に描かれています)、このアテナがアレスを打ち負かすテーマがキリスト教時代に入ってから描かれるようになったのもうなずける点があります。

ところでこの「善の神」アテナが「悪の神」アレスを打ち負かすテーマの美術作品ですが、ロココ時代に入ると「抽象的な概念の視覚化」というよりもストーリー性が強調され、アテナがアレスを打ち負かした場面に「新展開」を匂わせる描写が付け加えられるのが人気になります。それはどんな「新展開」でしょうか?

 

1番 負けたアレスが逃げる。

2番 アテナとアレスが和解する。

3番 アレスの恋人の美と愛の女神アフロディーテ(ローマ名ヴェヌス。こちらも英語発音のヴィーナスの方が馴染み深いです)が突然現れ、アレスをかばう。

 

 

 

 

・・・正解は3番です。矢張り優美さが売りのロココ美術らしいといえるでしょう。例えばフランスの画家ダヴィッド(彼はロココの画家というよりは、むしろ後のナポレオン帝政時代に宮廷画家として仕えた人物ですが)やシュヴェなどがこの「新展開」描写のある「アテナがアレスを打ち負かす」場面を描いています。ちなみに、アレスとアフロディーテが恋愛関係にあるというのは古代神話にも元ネタとなる重要なエピソードがあり、美術作品でも「愛は戦いに勝る」というテーマとしてルネサンス期から一貫して人気のテーマでした。

ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス(ジャック=ルイ・ダヴィッド,1822-1844)

なお、この頃から同じ平和の到来を願うものでも「アテナがアレスを打ち負かす」テーマは衰退していき、ルネサンスから盛んだった「愛し合うアフロディーテとアレス」に一本化されていきます。

 

<参考文献>

新人物往来社編『ビジュアル選書 巨匠たちが描いた神と天使と悪魔』新人物往来社、2012

オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020

海野弘解説・監修『ヨーロッパの図像 神話・伝説とおとぎ話』パイ インターナショナル、2013

秦剛平『天使と悪魔 美術で読むキリスト教の深層』青土社、2011

この記事が気に入ったらシェア!
このエントリーをはてなブックマークに追加
準デジタル・アーキビスト資格所持者
ペットセーバーベーシック・アドバンス資格所持者
せっぱつまりこ

法政大学大学院国際日本学インスティテュート修士課程修了(学術修士の学位有り)

10代前半から美術史に、1617歳頃から葬儀・埋葬史に強い関心を持ち、紆余曲折を経て現在では特定分野に特化したクイズ原案作者を名乗る。

クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。

十二単

平安貴族が仕事をサボるときに使っていた口実とは?

キリスト教美術でタブー化した表現を受け継いで流行した神話画は?

クリンガーの『ベートーヴェン像』のポーズのヒントになった作品は?

子どもたちを呑み込む先代最高神を描く神話画の「改変描写」とは?

クリンガーの『ベートーヴェン像』に投影されたもう1人の英雄は?

二次創作的神話画の「芸術をたしなむ最高神」像のもう一つの意義は?

最高神の姿以上の超人的なイメージの神話的肖像とは?

ヨルダーンス作『ユピテルの教育』

後世の二次創作的神話画で、幼少の最高神が練習する楽器は?

ネガティブ描写がカットされた『分かれ道のヘラクレス』の謎とは?

神の怒りから人々を守る聖母像がバロック以降タブーとされた理由は?

歌人・西行の前職は?

最高神の姿のワシントン大統領像が手に持っているものは?

クリンガーの『ベートーヴェン像』を英雄的と賞賛した作家は?

十二単

平安時代の女性に必須だった教養とは?

クラーナハの『パリスの審判』。勝者である美の女神はどの人物?

怖い雑学【聞くトリビア 読む編part.20】

閲覧数:
460views

お菓子の雑学【聞くトリビア第18話 読む編】

閲覧数:
420views

「人生の糧になる名言」100選【偉人たちの名言雑学集】

閲覧数:
250views
十二単

平安時代の人にとっての夢ってどんなもの?

閲覧数:
200views

クリスマスの雑学【聞くトリビア第37話 読む編】

閲覧数:
200views

違いの分かる雑学【聞くトリビア 読む編part.21】

閲覧数:
190views

結婚の雑学【聞くトリビア第30話 読む編】

閲覧数:
190views
十二単

平安時代の女性に必須だった教養とは?

閲覧数:
180views

六道の「天道」に生まれるのが良くないのは何故?

閲覧数:
170views

モミジDr.のリカバリー日記 第327回「ボウリング」

モミジDr.のリカバリー日記

閲覧数:
140views
十二単

平安時代ってどんな布団で寝ていたの?

閲覧数:
130views

時間の雑学【聞くトリビア第29話 読む編】

閲覧数:
130views

アメリカとロシアの距離はどれくらい?

閲覧数:
110views
野球

「金は出すけど口は出さない」と最初に語ったオーナーは?

閲覧数:
110views

新幹線の雑学【聞くトリビア 読む編part.17】

閲覧数:
110views
Share
このエントリーをはてなブックマークに追加
TOP