よみもの|雑学記事|歴史

最高神の姿のベートーヴェン像で表現された
新しい最高神イメージは?

以前取り上げた、19世紀後半〜20世紀前半に活躍したドイツの彫刻家クリンガーによる大理石像『ベートーヴェン像』は、折から再評価の気運が高まっていた作曲家ベートーヴェンをギリシャ神話の最高神ゼウス(ローマ名ユピテル、英語発音ジュピター)になぞらえた姿に描いたいわゆる神話的肖像ですが、あくまで「精神世界・芸術世界の覇者」としての姿であるため一般的なゼウスのアトリビュート(持物(じぶつ)。

神話や聖書などの登場人物を美術作品で描く際、ほとんどその人物の身体の一部のように「お約束」として一緒に描かれる物や動植物など)である王笏と稲妻と(お付きの聖鳥の)鷲のうち、政治的権力を象徴する王笏や「神の裁き」の象徴である稲妻を捨て、しばしばこの世の権力の象徴とされる一方で「精神的な高貴さ」などの精神的徳を象徴してもいる(『ベートーヴェン像』では後者のイメージの)鷲を連れた姿であるということを指摘しました。

実はもう一つ、それまでのギリシャ神話を題材とする美術作品でのゼウス像にはほとんどみられない特徴が、クリンガーの『ベートーヴェン像』にはあります。

それはどんなものでしょうか?

(今回は自由回答です。ヒントは先程言及した「鷲」です)

マックス・クリンガー – von H.B. selbst fotografiert, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2658651による

・・・正解は、「鷲と視線を合わせている」です。

 

横から見た画像を見るとよりはっきりとわかるのですが、鷲はゼウス化して玉座に腰掛けるベートーヴェンを仰ぎ見るような位置と姿勢であり、ゼウス化したベートーヴェンも若干前かがみの姿勢であり、視線をちょうど鷲の顔の位置に落としています。

 

参考までに、他の有名なゼウス像と比較してみます。

『ユピテルとテティス』ドミニク・アングル、1811

これはルネサンス以降のゼウス像の最高傑作の一つともいわれる、19世紀前半〜半ばに活躍したフランスの画家アングルの比較的初期の(クリンガー作品の約100年前の)作品『ユピテルとテティス』ですが、ユピテル=ゼウスにしなだれかかる女性は彼の愛人ではなく、トロイア戦争でギリシャ連合国軍に従軍して活躍したが戦死した英雄アキレウスの母で海の女神テティスです(この場面のいきさつを語る神話も興味深いですが、今回は割愛します)。

ここでも鷲はお付きの聖鳥らしく主人ゼウスを仰ぎ見ていますが、ゼウスは(テティスに彼女の子息アキレウスを助命するよう嘆願されていることもあり)鷲を全く見ず、かといって愛人でない(より詳しくいえば愛人にすることを諦めた(このくだりも興味深いストーリーがありますが、今回は割愛します))女性に甘えられていることの照れくささを隠すかのように、ことさらにおごそかな表情で正面を向いています(補足すると、玉座下部のレリーフは稲妻で敵勢を討つゼウスがモチーフです。つまり、アングル作品では「王笏」「鷲」「稲妻」が揃っているわけです)。

他にも様々な「鷲を連れたゼウス像」は沢山描かれましたが、ほとんどがあくまで「ゼウスのアトリビュート」としての役割でそこにいるといった雰囲気であり、ゼウスが積極的に鷲と視線を合わせている=強い信頼関係を表現した作例は皆無に等しいです。

そうしたことを念頭に置いて考えると、クリンガーの『ベートーヴェン像』での鷲は像主ベートーヴェンがゼウスになぞらえられていることを示すアトリビュートであるだけでなく、精神的徳=精神世界の覇者性の象徴でもあり、更には主人と強い絆や信頼関係で結ばれた従者である(それは取りも直さず、「主人」であるゼウス化したベートーヴェンが普段から愛情と真心を持って鷲と接していることも意味する)ということも表現されているわけです。

つまりこの『ベートーヴェン像』は、ベートーヴェンの偉大さを端的に表現するために最高神になぞらえた姿で描くと同時に、(作者クリンガーがどこまで意図していたかは、結局彼本人にしかわかりませんが)結果的にルネサンス以降様々に描かれてきたゼウス像の「ネガティブな(と、もしかしたらクリンガーが解釈したかも知れないというか、少なくとも生前には政治的・経済的権力と縁遠かった人物にふさわしくないと解釈した)イメージ(王笏で象徴されるこの世の権力や、稲妻で象徴される「敵対者」討伐も含む)」を正反対にした、いわば「リファインされたゼウス像(となることで、国家元首ばかりでなく(生前は不遇だった)芸術系偉人もなぞらえられるようになった存在)」でもあるといえるわけです。

 

 

 

<参考文献>

ヒルデガルト・クレッチマー、西欧文化研究会訳『美術シンボル事典』大修館書店、2013

オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020

この記事が気に入ったらシェア!
このエントリーをはてなブックマークに追加
準デジタル・アーキビスト資格所持者
ペットセーバーベーシック・アドバンス資格所持者
せっぱつまりこ

法政大学大学院国際日本学インスティテュート修士課程修了(学術修士の学位有り)。

10代前半から美術史に、1617歳頃から葬儀・埋葬史に強い関心を持つようになるが当時は今と違いSNSやクラウドソーシングが普及しておらず、そうしたことを活かすことができないまま年月を過ごした後ウェブライターとなり、現在ではむしろクイズ原案作者を名乗る。

日本ネットクリエイター協会会員。

クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。

子どもたちを呑み込む先代最高神を描く神話画の「改変描写」とは?

最高神の姿以上の超人的なイメージの神話的肖像とは?

キリスト教美術でタブー化した表現を受け継いで流行した神話画は?

十二単

平安貴族が仕事をサボるときに使っていた口実とは?

ネガティブ描写がカットされた『分かれ道のヘラクレス』の謎とは?

神の怒りから人々を守る聖母像がバロック以降タブーとされた理由は?

歌人・西行の前職は?

最高神の姿のワシントン大統領像が手に持っているものは?

クリンガーの『ベートーヴェン像』を英雄的と賞賛した作家は?

十二単

平安時代の女性に必須だった教養とは?

クラーナハの『パリスの審判』。勝者である美の女神はどの人物?

『ヘラクレスとオンファーレ』の描かれ方の劇的な変遷とは?

ダナエ像がしばしば青や赤の布に取り囲まれて描かれるわけは?

ギリシャ神話の神同士の裁判で重要な、当時の死者と縁の深いものは?

平和の神が戦争の神を討伐する神話画は、19世紀にどうなった?

傘応援

ヤクルト名物「傘振り応援」が始まった経緯とは?

閲覧数:
1,550views
野球

プロ野球の「三冠王」と「トリプルスリー」。達成が困難なのはどっち?

閲覧数:
1,120views

富士山は何県にある?

閲覧数:
1,120views

ウィークエンド・シトロン”とは何のお菓子のこと?

閲覧数:
930views

宇宙の雑学【聞くトリビア 読む編part.19】

閲覧数:
910views
月餅

なぜ中秋節に月餅を食べますか?/为什么中秋节要吃月饼?

閲覧数:
880views

六道の「天道」に生まれるのが良くないのは何故?

閲覧数:
880views

地球を除く太陽系の惑星で、地球より重力が小さいのは?

閲覧数:
870views

平安貴族にとって脱げるのが一番恥ずかしいものは?

閲覧数:
860views

富士山より高い日本一の山があった?

閲覧数:
840views

「しあさって」の「し」って何?

閲覧数:
760views

『西遊記』で三蔵法師の乗っている馬は何者?

閲覧数:
750views

中世の教会建築で、古代神殿風の円柱装飾はどう受け継がれた?

閲覧数:
740views
十二単

平安時代の女性に必須だった教養とは?

閲覧数:
720views
太陽系

太陽系の惑星のうち、一番傾いているのは?

閲覧数:
710views
Share
このエントリーをはてなブックマークに追加
TOP