よみもの|聞くトリビア(読む編)

1試合のレッドカードのギネス記録は?
【朗読】スポーツが楽しくなる雑学【聞くトリビア】

『メジャーリーグで、打率10割の選手がいる?』

『5000kmを走り抜ける過酷なマラソン大会!?』

スポーツにまつわる面白雑学の数々を、フリーアナウンサー大橋俊夫氏の朗読とともにお楽しみください。


こちらは動画の内容の書き起こし記事です。

音声と一緒にお楽しみください。

アメリカ・メジャーリーグで、打率10割の選手がいた

野球の世界で生涯打率10割と聞くととんでもない記録だと思われるかもしれませんが、実はメジャーリーグでは20人以上の選手が達成しています。というのも1試合、1打席しか試合に出してもらえず、そこでヒットやホームランなどを打って10割という選手が多く、まれに2打数2安打がいるというぐらいです。しかし1人だけ3打数3安打だけでなく、フォアボールも2つで出塁率10割、さらに3打点という記録を持つ選手がいます。

それは1963年にヒューストン・コルト.45s(フォーティファイブス)のジョン・パチョレック選手。1987年から93年まで日本プロ野球で活躍したジム・パチョレックの兄にあたる人物です。彼はシーズン最終戦に7番ライトで出場し、フォアボール、シングルヒット、シングルヒット、フォアボール、シングルヒットと記録、出場した試合がこの試合だけだったため、大リーグ史上唯一の5打席での10割打者となりました。

その後、彼は持病の腰痛が悪化し、メジャーに復活することなく引退してしまいました。残念なことではありますが、その代わりメジャーリーグでそうそう破られない大記録を残したというわけです。

初の駅伝競走は、東京と京都の間で行われた

ニューイヤー駅伝、箱根駅伝など、現在ではさまざまな駅伝大会が行われています。その元祖となる日本初の駅伝大会が開催されたのは1917年、大正6年のことで、4月27日から29日にかけて3日間にわけて行われました。驚くべきはその距離。京都の三条大橋をスタートとしゴールは東京の上野・不忍池で、実に508kmもありました。

これはその年に開催された「東京奠都(てんと)五十周年奉祝大博覧会」を記念して行われたもので、明治天皇が京都を出発して江戸城へと向かったルートを再現し、その道を走り抜こうということから誕生した企画でした。

区間数は全部で23区間。東京チームと名古屋・京都チームの2チームにより競われたこの駅伝は東京チームが1時間24分の差をつけて、41時間44分のタイムで制しました。ちなみに東京チームの最終ランナーは、日本人として初めてオリンピックのマラソンに参加した金栗四三です。

ヤギをボール代わりに使うスポーツがあった

中東の国・アフガニスタンで古くから行われているスポーツにブズカシというものがあります。これは2組の騎馬隊が、ある物をボール代わりにして奪い合い、ゴールとなる円の中に落として得点を上げるという内容のスポーツですが、かつてこのボール代わりに使われていたものが、なんと生きているヤギでした。

このブズカシ、もともと民族の戦闘訓練だったものがスポーツへと変化したものだと言われています。現在はさすがに生きているのはまずいだろうということか、生きているヤギではなく、死んだヤギの首を切り落とし、内臓を取り除いて砂を入れたものを使っているそうです。

現在でもこのブズカシは多くの国民に愛されており、試合に出場する選手はヒーローとして崇められているとのことです。

1試合で36枚ものレッドカードが出たサッカーの試合があった

2011年、アルゼンチンのサッカー5部リーグ、クレイポール対ビクトリアーノ・アレナスの試合で、なんとレッドカードが36枚も出されるという珍事が起こりました。

これはアウェイであったビクトリアーノ・アレナスが2人の退場者を出し、0対2で負けてしまったことを発端に、彼らのイライラが爆発してクレイポールのメンバーと乱闘騒ぎになってしまったのが原因だそうです。

その結果両チームの控え選手を含む登録メンバー18人全員にレッドカードが出されました。さらには用具係だった人にも乱闘に加わっていたことからレッドカードが出されていたため、実際にはプラス1枚の37枚が出されていたそうです。この枚数はギネス世界記録にも認定されています。

ソフトボールのボールはもともと、ボクシングのグローブだった

1887年に誕生したソフトボール。そのはじまりはボクシンググローブをボールに使ったおふざけがきっかけでした。

アメリカ・シカゴのファラガット・ボートクラブの体育館でハーバード大学とエール大学のOBたちがフットボールの試合を観戦していました。その試合の結果、エール大学が勝利し、エール大学のOBたちははしゃいで大騒ぎをしていました。そのおふざけの延長でエール大学OBがたまたま見つけたボクシンググローブをハーバード大学のOBに向けて投げつけたのですが、ほうきで打ち返されてしまいました。

それを見たハーバード大学のOBのジョージ・ハンコックがスポーツにできないかということで、小さめの野球のダイヤモンドを描き、実際にボクシンググローブをボール、ほうきをバットにして野球を行ったところ評判が良かったため、改良を重ねて新たに大きめのボールや細いバットも考案し、ソフトボールの原型となるスポーツを生み出しました。

ちなみに「ソフトボール」という名称となったのはそれから40年ほどあとの1926年のこと。後にそれまで各地でバラバラだったルールが統一され、協会も設立されて正式なスポーツとして世界的に知られるようになりました。

かつてオリンピックでは、芸術競技が行われていた

オリンピックはスポーツで競い合う大会と多くの人は思っていることでしょう。しかし、1912年の第5回ストックホルム大会からしばらくの間、芸術競技というものが存在し、さまざまな部門で争われていました。

というのも、古代ギリシャでは芸術とスポーツは密接な関係であり、肉体と精神を同時に磨くことで調和のとれた理想的な生き方ができると考えられていたからで、近代オリンピックの創始者クーベルタンは、その精神を取り入れて芸術競技を導入しました。

行われていたのは、建築、彫刻、絵画、音楽、文学の5部門です。これらにはなんと日本人も出場しており、1936年のベルリン大会では藤田隆治と鈴木朱雀という2人の日本画家銅メダルを獲得しています。

その芸術競技ですが、1948年の第14回ロンドン大会で終了し、その後は単なる展示だけが行われるようになりました。これには芸術作品への評価や判定が非常に難しいことや、アマチュアの祭典として行われたはずのオリンピックにプロが参加していることなどが理由だったそうです。

高校野球の応援のために、甲子園に象を連れてきた高校がある

毎年春・夏に高校野球の試合が行われる甲子園球場。その客席には高校を応援する応援団が陣取っていますが、その中にあの巨大なゾウの姿があったらびっくりすることと思います。実は1951年、昭和26年、実際に応援席にゾウが入り込み多くの人々を驚かせたという出来事がありました。

連れてきたのは兵庫県の鳴尾高校の応援団で、1回戦で当時の常連で優勝経験もあった静岡城内高校と対戦することになり、応援だけでも相手に一泡吹かせようと考えていた応援団長は、高校の隣にあった遊園地・甲子園阪神パークと交渉し、当時飼われていたメスのアジアゾウ、アキ子を借りてきて甲子園に入場させました。

背中に応援団長を乗せてグラウンドに足を踏み入れたゾウのアキ子ですが、多くの観客は喜んだものの、さすがに高野連を怒らせてしまい、すぐに退場を命じられたとのこと。

しかし、鳴尾高校野球部はそのゾウの応援があったからか、見事その試合で勝利、そのまま勢いに乗って準優勝を果たしました。

1試合を最大5日かけて行うスポーツがある

普通スポーツの試合は1日で終わりますが、中にはとんでもない時間をかけて行うものもあります。それはイギリスなどでよく行われているクリケットで、伝統的な試合形式だと最大5日もかかるそうです。

というのもクリケットの試合では合間にランチやお茶の時間が長時間にわたり設けられていて、お茶の時間に飲むのもスポーツドリンクといったものではなく、ちゃんと紅茶やケーキが用意されています。貴族の国イギリスというだけあって優雅な雰囲気を大事にするようです。

また、クリケットは相手をアウトにするのが難しく、しかも10アウトを取らないと攻守交代にならないのも、時間がかかってしまう理由のひとつです。ただ、さすがに最近では時間をかけずに楽しむための形式で行われることも多いとのこと。

ちなみに、記録に残っているクリケットの1試合の最長時間は1939年に行われた南アフリカ対イングランドでの9日間だそうです。

間違えて別人の助っ人外国人を入団させたプロ野球球団がある

1968年、現在のロッテにあたる東京オリオンズはある助っ人外国人を入団させる計画を組んでいました。彼の名前はヘクター・ロペス、ヤンキースで活躍する現役メジャーリーガーでした。そしてオリオンズは契約に成功し彼を入団させることができた、と思い込んでいました。

しかし、いざキャンプで彼と合流してみたところ、右投げと聞いていたにも関わらず左手でボールを投げていました。あわてて確認したところ、実は彼はヘクター・ロペスではなく、別人のアルト・ロペスという人物でした。しかもアルトはメジャーでほとんど活躍しておらず、セミリタイア状態だったとのこと。ここで改めてヘクターと再契約すればいいものの、オリオンズはたった36万円という破格の安さの移籍金を支払ってそのまま入団させました。万が一ダメでもこの金額ならあきらめがつくというのがあったようです。

しかし、この間違われたロペス選手、1年目に26試合連続安打を記録、打率2割8分9厘、23本塁打、74打点と好成績を記録、後にヤクルトに移籍してからも活躍し、実に6年にわたり日本プロ野球界の人気者となりました。

まさか、間違いだった選手がこんなに活躍するなんて、東京オリオンズはいい買い物をしたとしか言いようがありません。

ゲートボールは、もともと子ども向けに考案されたものだった

高齢者のスポーツとしておなじみのゲートボール。誕生したのは1947年の戦後まもなくの頃で、北海道の鈴木栄治という人物がフランスの伝統的な球技の「クロッケー」をヒントに考案しました。が、実は彼は高齢者向けではなく、子ども向けにこのスポーツを作ったそうです。

当時、戦後まもなくであったことから子どもたちには満足な遊び道具が与えられませんでした。そこで鈴木は何か手軽にできる遊びをという思いでゲートボールを生み出しました。ところが手軽で体力的な負担が少ないことと、戦略性が高く、頭を働かせないと勝てないということで、脳の活性化に役立つということから、次第に高齢者が楽しむようになったというわけです。

しかし最近では高齢者だけではなく、若い人でも楽しむようになってきています。ゲートボール=高齢者向け競技という時代はもうすぐ古くなるのかもしれません。

大相撲の力士は、車の運転が禁止されている

非常に厳しい相撲の世界。私生活にもかなり厳しい決まりがあるようで、たとえば車を運転することが禁止されています。

この決まりが設けられたのは1985年、力士が運転する車が停車中の車に追突するという事故が立て続けに起こりました。これを受けて当時の春日野理事長が、力士が車を運転することは原則禁止にしましょうという注意喚起をおこないました。

しかし、1999年にそれを守らなかった力士がオートバイとの衝突事故を起こし、さらに翌年には別の力士が死亡事故まで起こしてしまいました。本来力士は国民から尊敬される存在でなければならず、交通事故といった不祥事は絶対にあってはいけない、ということからついに相撲協会は現役力士の運転禁止という規則を設けることとなりました。

しかし2018年、エジプト出身の力士・大砂嵐がそれを守らずに運転し事故を起こしてしまいます。しかも無免許運転であったことから協会から罰せられ、引退させられています。

バドミントンのスマッシュのときの最高速度は、時速およそ500km

もっとも球の速度が早い球技が何かというのはご存知でしょうか?実はバドミントンがもっとも速く、トップクラスの選手になると初速は時速400kmを超えるとのこと。最速記録になると、2013年に計測された時速493kmとリニアモーターカーレベルのスピードです。ちなみにテニスの最速記録が時速263kmなので、その倍近いスピードが出ているということです。

これは使われるシャトルコックが空気抵抗を極限まで減らす設計が行われており、またラケットもインパクト時に力を余すことなくシャトルに伝えるように作られているため、このスピードにまでたどりついたそうです。

それだけのスピードでラリーが続けられるため審判も相当大変だそうです。そこでバドミントン独自のルールとして、線審がシャトルコックの落下点が確認できなかった場合、目を両手で覆って「見えません」のサインを主審に送り、主審も判断できなかったときはノーカウントになるというものがありました。さすがに近年ではビデオ判定ができるようになったために適用されることはあまりありませんが、それだけシャトルコックを目で追うことが大変だということでしょう。

フィギュアスケートでは、アクセサリーを氷の上に落とすと減点になる

氷の上で美しさを競い合うフィギュアスケート、実はさまざまな特有のルールがあります。そのひとつに身に着けているアクセサリーなどを氷の上に落としてしまうと減点になるというものです。これは次に演技する選手が安全に滑ることができるようにするためという側面もあり、たとえば『白鳥の湖』の演技で白鳥をイメージした羽根がついた衣装を着ていたとき、その羽根を落とすことも許されないぐらい厳しいものとなっています。

他にも男子選手は脇毛やすね毛を見せてはいけません。フィギュアスケートは神聖なスポーツであると考えられるため、汚らしいものは見せてはいけないということでのルールだそうです。同様に女子選手も裸をイメージさせるような衣装が禁止されています。

また選手が名前を呼ばれてから演技のスタート体制を取るまでに30秒以上かかってしまってたり、演技中に靴紐がほどけて中断したときも減点です。時に激しく、時に優雅に滑るフィギュアスケートの選手ですが、厳しいルールをクリアしての演技だったのですね。

オリンピックの第一公用語は、フランス語

オリンピックの開会式の入場国アナウンスを聞いてみると、英語の前に別の言語で国の名前が呼ばれています。実はあれはフランス語です。国際オリンピック委員会ではフランス語が第一公用語となっているため、英語よりもフランス語を優先しているというわけです。

これは近代五輪の礎を築いたことから「近代五輪の父」呼ばれる人物ピエール・ド・クーベルタンがフランス人であるからです。オリンピックが彼の呼びかけによって始まりました。そんな彼が使っている言語がフランス語であるということから、フランス語が第一公用語に採用されました。

ちなみに彼はオリンピックの五輪マークの考案者でもあります。クーベルタン無くしてはオリンピックが存在しなかったという大きな存在なのです。

剣道の試合では、両手に竹刀を持って戦っても良い

剣道の試合ではそれぞれの選手がお互いに1本の竹刀を持って戦いますが、実は公式のルールで両手に1本ずつの竹刀を持って戦うことも許されています。実は日本ではあまり見られませんが、海外の剣道の選手にはこの二刀流スタイルで戦う選手も多いそうで、試合でも結構その姿が見られるようです。

こう聞くと、二刀流のほうが有利ではないかと思われるかもしれませんが、片手のみで竹刀を扱うためどうしても振りが遅くなってしまいます。剣道の試合で振りの遅さは致命的な弱点になります。そのため1本の竹刀のみのほうが扱いやすいことから、選手の数も少ないのではないかと思われます。

また二刀流で戦うにも条件があります。まず高校生以下の試合では2本持つことは許されていません。二刀流が可能であるのは大学生以上の試合でのみです。また2本の刀はそれぞれ大きいサイズのものと小さいサイズのものを持つように決められています。

もし振るスピードなどの弱点が解消されるようになれば、二刀流の選手も増えていき、剣道は竹刀1本で戦うものというイメージも変わっていくかもしれません。

クレー射撃は、かつて本物のハトを的として使っていた

宙を舞うクレーと呼ばれる標的を撃ち落とすクレー射撃。このクレーの正式名称は「クレーピジョン」。直訳すると「粘土のハト」となります。実はこのクレーが使われる前は実際の鳥のハトを使って競技が行われていたそうです。

このスポーツはヨーロッパの貴族の間で流行っていた遊びに由来するものでした。実際に飛び立っているハトを撃ち落としてその数を競い合うなどして楽しんでいました。しかし流行っていたことからハトの数がどんどん少なくなっていき、またアメリカの動物愛護団体から圧力がかかったことから、ハトの代わりとなる存在を探す必要が出てきました。そこでまずガラス製のボールが使われるようになり、それが変化して現在使われている陶器製のクレーが誕生しました。「クレーピジョン」という名前はかつてのハト撃ちが楽しまれていた時代の名残というわけです。

かつての競泳の自由形では、平泳ぎが主流だった

競泳の自由形といえばクロールで泳ぐ競技と思われがちですが、本来は違って、自由形という名の通りどんな泳ぎ方でもいいというルールの競技です。現在クロールの選手が多いのは単純にそれがもっとも速いからということです。

その昔、水泳の大会では競泳種目は自由形しかありませんでした。当時クロールの泳法が生まれておらず、ほとんどの選手が平泳ぎで泳いでいたそうです。しかし、その後に平泳ぎより速い背泳が登場しました。そこで多くの選手が背泳で参加しましたが、紳士的な泳ぎでないという理由で背泳で自由形に参加することは認められませんでした。その代わり独立させるという形で背泳を新種目に採用しました。

その後クロールが誕生、そちらのほうが速いということから平泳ぎを使わずにクロールで泳ぐ選手がほとんどとなりました。しかし当時の大会主催者たちは伝統ある平泳ぎを守りたい一心でクロールを別種目にしようかと考えましたが、それだと新しい泳法が生まれるたびに種目が増えてしまうということから、逆に平泳ぎを新種目として独立させました。

スタンガンを使って相手を攻撃するスポーツがある

アメリカで行われているスポーツにアルティメットテーザーボールというものがあります。これは直径60cmほどの大きいボールを奪い合って相手のゴールに入れたら得点が入るという内容の球技です。これだけ聞くと何が面白いのかと思われるかもしれませんが、実はこのスポーツ、スタンガンを使って相手の邪魔をすることが許されています。

なぜこんなスポーツが生まれたかというと、スタンガンを使うことで男性女性、太っている痩せているといった体格などの差を埋めることができると考えたからだそうで、実際にどんな大きな体の選手でもスタンガンを当てられたら一発で参ってしまいます。

ただ、このスポーツで使われているスタンガンは護身用に出回っているものの10分の1ほどの電圧に設定されており、失神するような痛みはないとのこと。

まだあまり知名度もないため日本にはほとんど普及していません。もしかしたらひょんなことでブームが起こり、多くの人がこのスポーツ用のスタンガンを持つ時代が来るかもしれません。

中日ドラゴンズの「ドラゴン」は、親会社の社長が辰年生まれだったから

プロ野球チームの中日ドラゴンズ。このドラゴンがどこから来たかというと、実は球団に関わり深いある人物の干支からです。

1947年、日本野球連盟は当時のすべてのプロ野球球団に対してジャイアンツなどといったチーム名をつけようではないかという案が出され、各チーム、名前をつけることとなりました。

当初、中日のオーナーであった中部日本新聞社の社長・杉山虎之助は自らの名前に入った「虎」にちなんで「タイガース」とつけようとしましたが、ご存じの通り、すでに関西の球団が使用していたため断念。そこで彼の生まれ年の干支が辰年だったということから「ドラゴンズ」とつけようということで、中日ドラゴンズという名前が誕生しました。

もし関西にタイガースが存在しなければ、中日タイガースという球団が誕生していたことになります。そうなると日本プロ野球界の歴史も大きく変わっていたのかもしれません。

プロ野球で、1試合で全ポジションを守った選手がいる

ふつう野球で、投手、捕手、内野手、外野手のすべてを担当できる選手はなかなかいないものです。しかし、過去にプロ野球で9つあるすべてのポジションを、しかも1試合で守った選手がいます。

その選手とは日本ハムの高橋博士という選手です。1974年の最終戦、南海を相手に監督の中西太が1試合中、イニングごとにポジションを変えてすべてのポジションを守ってくれないかという提案をしました。というのも中西は最終戦ということで何か面白いファンサービスはできないかと考えており、そこで思いついたのがこのアイデア。高橋はそれを承諾してすべてのポジションを守ることになりました。

3番ファーストで先発出場した高橋は、2回はキャッチャー、3回はサードというように順々にポジションを守っていき、最終回で実は今まで一度も経験したことがないピッチャーを担当、1人の打者を打ち取ったところで次の投手に交代しベンチへと下がりました。結果はというと0対7で日本ハムのぼろ負けでした。

後にノーベル平和賞を受賞したオリンピックのメダリストがいた

今まで数多くのオリンピックのメダリストがおり、また同様に数多くのノーベル賞受賞者もいます。しかしその両方にあてはまる人は過去に1人しかいません。それがイギリス人のフィリップ・ノエル・ベーカーという人物です。

彼は1916年に開催されたアントワープ五輪の陸上男子1500mにイギリス代表選手として出場、見事銀メダルに輝きました。また彼は大学で国際政治学を学んでおり、卒業後は国際連盟事務局に勤務、後に労働党から立候補して国会議員に当選、国際平和に尽力し世界軍縮会議などで活躍しました。その後国務大臣などを歴任しても平和活動に従事していたことから業績が認められ、1959年にノーベル平和賞を受賞しました。

また彼は、「オリンピックが20世紀最大の平和運動であり、国際政治もオリンピックから学ぶべきことがある」という言葉も残しています。彼の中ではオリンピックに対する意識と平和運動はひとつにつながっていると考えていたのかもしれません。

箱根駅伝は、もともとアメリカ横断駅伝の予選として開催された

お正月の風物詩となっている箱根駅伝。その始まりは1920年、今から100年以上前のことです。実はこの箱根駅伝の第1回大会、後に行われる計画があったアメリカ大陸横断駅伝の予選会として開催されたものでした。

これは「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗四三が提案したもので、何かスケールの大きな駅伝大会が開催できないものかということで出た案のひとつでした。国内での大会も案としてあがったのですが、それだと世界には届かず話題性にもかけるということで、広大なアメリカ大陸を舞台にしてやろうと考えたのでした。

ただ、いきなりアメリカ横断大会を行うのは距離も長すぎるため危険ではないかということで、国内で予選会を開くこととなりました。それが箱根駅伝というわけです。東京・箱根間で駅伝を行えば、途中の箱根の山をロッキー山脈に見立てることができる、という想定もあったようです。そして1920年、第1回大会が開催されました。

しかし、諸事情によりアメリカ横断駅伝は断念、予選会だった箱根駅伝のみが残ることとなり、現在にいたっているというわけです。

50日ほどかけて5000kmを走り抜けるマラソン大会がある

海外にはわれわれの想像のつかない、とんでもないマラソン大会があるようで、アメリカ、ニューヨークでは3100マイル、キロで換算するとおよそ5000kmを50日ほどかけて走り切る大会が開催されています。

これは「シュリ・チンモイ自己超越3100マイルレース」というもので、1周833mのコースを52日以内に5658周、毎日午前6時から深夜までの間ずっと走り続けないといけません。しかも同じコースを延々と回り続けるため精神的に参ってくる人も多いそうです。睡眠時間も1日5時間以下でないと間に合わないということから、とんでもなく過酷なレースとしてマラソンファンに知られています。

大会名につけられているシュリ・チンモイとは創始者であるインド人スピリチュアル指導者の名前で、彼は精神的な力を使えば自分が思っている以上のことが達成できるという「自己超越」を提唱していました。この大会はその修業の一環として始められたもののようです。

ちなみに大会記録は男子で40日9時間6分21秒です。

オリンピックの最年長メダリストは、70代

オリンピックでは若い選手が活躍している姿が多く見られますが、決して歳がいった選手が活躍していないわけではありません。過去のオリンピックを見返していると、70代の選手がメダルを獲得したこともあったりします。

1920年に開催されたアントワープ大会で、鹿の形をした的をライフル銃で撃つ射撃競技の種目「100m鹿追い」のダブルショット団体で、スウェーデンのオスカー・スバーンという人物は72歳280日で銀メダルを獲得しています。これはオリンピックのメダリストで最高齢の記録です。また彼はその8年前のストックホルム大会では同じ「100m鹿追い」のシングルショット団体で金メダルを獲得しています。この時の年齢64歳258日も最高齢記録となっています。彼は最高齢のメダリスト兼金メダリストというわけです。

ちなみに日本人の金メダル最高齢記録は1984年のロサンゼルス大会の射撃競技「男子ラピッドファイアピストル」で獲得した蒲池猛夫さんの48歳135日です。

相撲の決まり手の中には、いまだに使われたことがないものがある

大相撲の決まり手は全部で82あります。もともと1955年に決まり手が68手制定され、時代とともに増えていき現在の82手にいたるのですが、このうち十両でも幕内でも一度も使われてたことがないという珍しい技が3つもあります。それは「掛け反り」「撞木(しゅもく)反り」「外たすき反り」です。

これらは「反り技」というものに分類され、上半身を反るようにして繰り出しますが、アクロバティックで見た目は派手であるもののケガのリスクが高いため、本場所でそうそう見られることはないようです。中でもこの3つは反り技の中でも難易度が高い大技であるため余計に見られないとのことです。

実はかつてはもうひとつ「たすき反り」がこの中に加わっていたのですが、2017年に当時十両3枚目だった宇良がこの技で相手を土俵に沈めました。もしかしたら残り3つもそのうち見られる日が来るかもしれません。

野球はもともと、21点先取したほうが勝つルールだった

今では9回終了の時点で得点が多いほうが勝ちというルールの野球、実は野球が誕生した当初、まったく別のルールで試合が行われていたのはご存じでしょうか?それは先に21点取ったら勝ちというものです。

野球はそうそう簡単に点が入るルールではありません。0対0で終わる試合もよく見られますし、その場合でも3時間程度かかってしまいます。しかも昔はフォアボールがなく、ストライク以外はカウントされなかったこともあり、1日で決着がつかないこともありました。

しかし、この形式だと終わる時間が予想がつきません。当時試合が終わると選手たちで交流会が行われていたのですが、その料理を用意する料理人たちが、いつ料理を準備すればいいのかわからないというクレームも出てきたため、現在の9回で終わるルールへと変更となりました。

チェスとボクシングを交互に行い勝敗を決めるスポーツがある

頭脳ゲームのチェスと格闘技のボクシング。対局の位置に存在していると思われるこの2つを混ぜ合わせるとどうなるか、そんなスポーツが実際に行われています。

その名も「チェスボクシング」。チェスとボクシングを交互に行い、どちらかで勝負がつけばその時点で決着するというシンプルなルールです。バカバカしいと思われるかもしれませんが、ヨーロッパを中心に3000人以上の選手がいて、2003年には世界大会まで行われるほどになっています。

このスポーツはもともとフランスの漫画家エンキ・ビラルが1992年に発表した『冷たい赤道』の中に登場していた架空の競技だったものを、実際にしてみてはどうかということから行われたのが始まりと言われています。

知力と体力、どちらも重要視されるチェスボクシング、まだまだ競技人口が少ないので、今がチャレンジのチャンスかもしれません。

オリンピックで使われるカーリングのストーンは、すべて同じ島で採れたもの

オリンピックでの女子日本代表チームの活躍で注目を浴びたカーリング。ストーンをうまく目的のポイントまで滑らせるのが重要なポイントですが、このストーン、オリンピックで使われているものはすべて同じ島で産出される石を原料にしています。

その島とは、スコットランド領の小さい島・アルサクレイグ島です。ここで切り出された花崗岩は世界で最も硬く純度が高いもののひとつとされており、ひび割れや結露に強く、滑りやすいというのもあって、カーリングに適した最高級のストーンの原料と考えられています。

ちなみにこのストーン、1個あたりおよそ10万円ほどします。1試合で使われるストーンは16個なので、1試合で160万円が氷上を滑っていることになります。

日本でかつて使われていたスケート靴は、下駄に刃をつけたものだった

日本で初めてのアイススケート場は1876年、明治6年に横浜市でオープンしました。当時まだ珍しかったスケートを多くの人が楽しんでいたようです。

しかし、またその頃はスケート靴は非常に高かったため、ほとんどの人が手に入れることができませんでした。その代わり多くの人は下駄の底に金属製の刃を埋め込んだスケート用の下駄を使い滑っていました。

この下駄スケート、長野県下諏訪町の職人により考案されたもので、外国製のスケート靴が現在の価値で約25万円だったのに対し、3千円ほどと手軽だったため多くの人に出回ったようです。下駄だとすぐに脱げてしまうのではないかと思われるかもしれませんが、ヒモで固定するなどの工夫がされており、うまい人だと普通にスケート靴を履いている人と遜色がないぐらいに滑っていたようです。

この下駄スケート、昭和30年代頃まで使われていましたが、さすがにその頃になると普通のスケート靴も手に入りやすくなったため、だんだんと廃れていきました。

かつて走り幅跳びを宙返りで跳んだ選手がいる

1973年、ドイツの陸上選手ラゲルクイストが走り幅跳びであることをして話題となりました。それは片足で踏み切った後に空中で前方宙返りをするというものでした。

彼自身はこの跳び方で7mの距離を跳んだことから、もしかしたら宙返りすることで記録を伸ばすことができるのではないか、と世界各国が研究を始めました。もちろん日本でも研究が行われ、実際に好記録が生まれたそうです。

しかし、走り幅跳びは記録を計測するために着地点として砂場が必要であり、安全のためのマットを敷くことができません。一つ間違えれば大ケガにつながるこの跳び方、さすがにまずいということで国際陸連は禁止するというお触れを出しました。

もし、この跳び方が現在も認められていたなら、よりハイレベルな世界記録が誕生していたかもしれません。

フライングディスクの種目・アルティメットに、審判はいない

一般的にはフリスビーと呼ばれているフライングディスク。これを使ったスポーツ競技のひとつに「アルティメット」というものがあります。7人のチームが攻撃側と守備側に分かれ、パスでつないでエンドゾーンと呼ばれる地点でディスクをキャッチすると得点が入るものですが、なんとこの競技、審判が一人もいません。

というのもこの競技はフェアプレーの精神で戦うという意味で、競技者が同時に審判の立場に立つセルフジャッジ方式を取っています。もし選手同士で意見が食い違ったときは、お互いの意見を交換して選手たちでどのように進めるかを判断しないといけません。お互いの意見を尊重し合う気持ちや自発性が選手たちに問われているというわけです。

このことから、最近では授業に採用する学校も増えているとのこと。体力づくりだけでなく、グループワークの観点から教材として適していると考えられているようです。

スターウォーズのライトセーバーで戦うフェンシングの種目がある

フェンシングといえば、エペ、フルーレ、サーブルの3種目があることで知られていますが、2019年、フランスのフェンシング連盟が新たに4種目目を正式採用し話題となりました。それが「ライトセーバーデュエリング」という種目です。

これは映画『スター・ウォーズ』シリーズでおなじみの光る剣、ライトセーバーを相手の体に当てて得点を競い合うというもので、頭と体に当てると5点、腕と足は3点、手は1点と部位によって得点が違っており、合計15点を先に取った人が勝ちとなります。

また他の種目と違い、攻撃前はライトセーバーの先端が自分の体より後ろにないといけないという独自のルールがあり、これにより相手を突いて得点するということができません。ダイナミックにライトセーバーを振り回すアクションが見られる派手な競技となっています。

まだこの種目はフランスでしか採用されていないため、今後どうなるかわかりませんが、もしかしたら数年後にはオリンピックでライトセーバーを振り回す選手の姿を見ることができるかもしれません。

オーストラリアには、全長1365kmものゴルフコースがある

ゴルフコース、全18ホールの平均の距離はだいたい5.6kmほどだそうです。しかし、オーストラリアにはこれとは比べ物にならない、とんでもないコースが存在します。

そのコースとは「ナラーバーリンクス」という名称のもので、全長がなんと1365kmと日本の本州と同じぐらいの長さになります。実はこのコース、18の街に1ホールずつ作られたというもので、それぞれの街の移動距離を計算するとそれぐらいになるということだそうです。ただ、実際にボールを打つコースの総距離としては6.5kmほどと普通のゴルフコースとあまり変わりありません。

このようなコースが作られた理由は観光事業の一環だそうです。さまざまな街に立ち寄ってもらい地域の活性化につなげようということで誕生したコースだそうです。

ただ、1ホール回ろうと思えば早くて3日、通常で4日かかるそう。しかし18ホールすべてプレーすると世界最長のゴルフコースでプレーしたという証明書がもらえるそう。時間とお金に余裕がある人はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

4歳の子どもが、ゴルフでホールインワンを達成したことがある

ゴルファーにとってホールインワンは誰しも達成を夢見るものではないでしょうか。それぐらいホールインワンは難しいことで、プロの試合でもそうそう見られるものではありません。ところが2020年、アメリカでわずか4歳の子どもがホールインワンを記録し話題となっています。

達成したのはロッコ・フィガレッティ君という名前のお子さんで、父親と一緒にゴルフをプレイしていたときのことでした、パー3のコースの1打目、ロッコ君が打った球はまっすぐに飛びグリーンのほうへ向かいました。グリーンが坂の下にあったためにボールは着地後転がっていきカップに吸い込まれるように落ちていきました。

この様子は父親の手でネットに投稿され、多くの驚きと祝福のコメントが寄せられました。その投稿によるとロッコ君は毎日のように庭でゴルフの練習をしていたそうで、今回の出来事はその練習のたまものではないかと言われています。今後の彼の成長が楽しみですね。

テニスのウィンブルドンのロゴマークをデザインしたのは、日本人

テニスの四大大会のひとつ、ウィンブルドン。この大会では1980年から2本のテニスラケットを交差させた絵が描かれたものと、アルファベットの「W」をモチーフにしたデザインの2種類のロゴが使われています。実はこのロゴ、作ったのは日本人でした。

そのデザイナーとは佐藤忠敏という人物で、他にも「とんがりコーン」や「カルピス」「サランラップ」などのロゴも担当したことがあるデザイナー界の大御所です。

もともと彼はこの2つのうちどちらかのデザインが採用されればいい、と考えていたそうで、両方とも正式採用されると思ってなかったそうです。現在ではウィンブルドンに関するグッズにはすべてこのデザインされたロゴマークが使われており、ウィンブルドンといえばこのマークをイメージする人も多いそうです。

ちなみに佐藤さんは高校時代に部活でテニスをしていましたが、嫌々やっていたためしばらくテニスから遠ざかっていたそうです。しかし、このロゴデザインをきっかけに再びテニスをはじめ、今では大ファンになったとか。

テニスには、松岡修造にちなんだ「シューゾー・マツオカルール」というものがあった

テレビでもおなじみの元プロテニスプレーヤーの松岡修造。実はテニス界には彼がきっかけで制定され、その名がついた「シューゾー・マツオカルール」というものがかつて存在しました。

1995年の全米オープン1回戦、松岡修造は試合中に筋肉のケイレンを起こしてしまい、コート内で動けなくなって倒れてしまいました。しかし、当時のルールでは筋肉のケイレンでタイムアウトを取ることはできず、そのまま彼は2分間ずっとコート内で倒れたままでした。多くの観客やテレビ視聴者はその姿を見て「かわいそう」「なんとかならないのか」という声をあげました。それを聞いたテニス協会が新しいルールを作り、それに彼の名前をつけたというわけです。

しかし、このルール、筋肉がケイレンしたかどうかを判断するのは選手本人しかできず、そのため試合の悪い流れを断ち切ったり、休憩するためにケイレンしたと嘘の申告する選手が多発、そのため2010年、このルールは廃止となりました。

その後、筋ケイレンで治療を受けたい場合は、チェンジコートまでの得点を全部捨てることで治療が受けられるというルールに変更されました。

バスケットボールのゴール後ろのボードは、観客が邪魔できないようにするため

バスケットボールのゴールリングはバックボードと呼ばれる板につけられています。実はバスケット誕生当時このボードは存在しませんでした。したがってボードに当ててリングに入れるというテクニックは使えず、今とくらべて得点することはちょっと難しかったようです。では、なぜあのボードは誕生したのでしょうか。

実はバックボードがなかった頃、ゴールめがけて放たれたシュートを2階席にいた相手チームのファンが邪魔する行為がよく行われていました。このままだとフェアに試合することができないということで、苦肉の策から生まれたのがあのバックボードというわけです。

ちなみにこのボード、かつては木で作られたものが多かったそうですが、それだと客席から試合が見にくくなるという苦情があったため、アクリル板の透明なボードが生まれました。現在ではこちらのほうが主流となっています。

イギリスのある町では、街中を舞台にしたフットボールが行われる

イギリス中部にある都市アッシュボーンでは毎年「ロイヤル・シュローブタイド・フットボール」というフットボール大会が開催されます。これは競技場で選手たちが争うものではなく、なんと街全体が舞台となって住人全体で参加するとんでもないイベントです。

この大会はなんと12世紀頃にはじまった歴史あるもので、スポーツイベントというよりはキリスト教のお祭りという意味合いが濃いそうです。住人たちは街の中心を流れる川を境に北側で生まれた人たちのチームと南側で生まれた人たちのチームに分かれ、ひとつのボールを奪い合いそれぞれの街の端にあるゴールを目指します。ちなみにゴールとゴールの間は5kmほど離れているそうです。

ルールは「殺さない、ボールを隠してはならない、教会の敷地に入ってはいけない」の3つだけなのでラフプレーも多く、けが人も当然のように出てしまいます。彼らはそんな試合を2日間にわたり、朝から夜まで繰り広げます。

そんなハードな大会ですが、街のみんなは毎年この日が来るのを楽しみにしているようです。他の街の人に比べて闘争心が旺盛なのかもしれませんね。

運動会の玉入れを競技化したスポーツがある

運動会でおなじみの玉入れ。これを競技として進化させたスポーツがあるというのはご存じでしょうか。その名も「アジャタ」、全日本玉入れ協会の英語名「オール・ジャパン・玉入れ・アソシエーション」の頭文字から名付けられたこのスポーツ、現在は全国各地で大会が行われるほどの人気となっています。

ルールは1チーム4から6人の選手が合計100個のボールをいかに早くバスケットに入れるかというもので、少し変わっているのは、先に99個のアジャタボールを入れてから、最後の1つであるアンカーボールを入れなければならないという本来の玉入れにないルールがあることです。また、2、3個のボールを交互に積んで手に持ち、一度に上に投げるといったテクニックも存在します。

もし興味がある人はチームを組んでやってみてはいかがでしょうか。ちなみに全日本選手権大会の一般の部の優勝賞金は50万円だそうです。

F1カー1台、およそ10億円

モータースポーツの最高峰、F1。レースに使われる車は最先端技術を駆使してより速く走れるように改良されています。さて、このマシン、1台につきいくらかかるのかというと、それぞれのチームごとに独自の技術が用いられているため一概に言えませんが、おそらく1台あたりおよそ780万ドル、日本円で約10億円ほどかかるのではないかと言われています。

中でも一番コストがかかるとされているのはPU、パワーユニットと呼ばれる部分だそうです。これはF1マシンのエンジンのことで、普通のエンジンとの違いは排気ガスの熱やブレーキの際に生まれるエネルギーを電気エネルギーに変えて動いているという点です。このPUだけでおそらく6億円ほどかかっていると言われています。

また、ボディにあたるモノコックの部分は1億数千万円、フロントウイングは2500万円ぐらいかかります。ただこの部分は接触して損傷する可能性が高いため、レース中には大量に準備しておかないといけません。

他にも様々なところに予算がかけられています。それだけの高額を払ってでも参加したくなるという魅力がF1にあるのでしょう。

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