よみもの|聞くトリビア(読む編)

高校生の一言が14億円を動かした事件って?
【朗読】大間違いの雑学【聞くトリビア】

実は多くの人が勘違いしている!?面白雑学の数々を、フリーアナウンサー大橋俊夫氏の朗読とともにお楽しみください。


こちらは動画の内容の書き起こし記事です。

音声と一緒にお楽しみください。

カノッサの屈辱で皇帝はやられっぱなしではない

世界史の授業を聞き流していた人でも「カノッサの屈辱」と聞くと、内容はともかくワード自体は頭に残っているのではないでしょうか。

一応、概要について説明すると、高位聖職者の任命権に関する対立から、1077年にローマ教皇グレゴリウス7世に破門された神聖ローマ皇帝のハインリヒ4世が、許しを請うために雪の中、イタリアのカノッサ城の前で3日間も立ち尽くし謝罪したという出来事です。

教科書では教皇の権力が皇帝の権力を上回った、などといわれますが、これには続きがあります。実は、皇帝も黙って屈服したわけではなく、許された後に反撃を試み、1084年には教皇を捕えてローマから追放しています。さらに、対立は半世紀ほども続いていたのです。

確かに、13世紀頃にかけて教皇権は強まっていきますが、カノッサでの出来事で完全に決着がついたという話ではありません。

例のあの絵は源頼朝ではない

源頼朝を思い浮かべてください。こういうと実は年代の違いが見られます。おそらく40歳くらいを境目にして出てくるイメージが違うと思われます。

年長の方の頭にあるのは肖像画でしょう。黒い服装に「笏(しゃく)」を持ったアレは京都の神護寺が所蔵する『伝(でん)源頼朝像』。教科書でもおなじみだったはずです。

しかし、若い方がイメージするのは木像のはずです。こちらは甲府の甲斐善光寺にあったとされる源氏の「三代将軍堂」の像のひとつ。源頼朝の像としては日本最古のものとされます。

この違いが生まれたのは、実は例の肖像画は頼朝を描いたものではないという説があるためです。1990年代に出てきたこの説はいまだに決着がついておらず、肖像画のタイトルにも「伝」がつく不確かなものとなっています。一方、木像のほうは史料としてしっかりしています。像の内部には妻・北条政子の命で作られたことや、頼朝の命日が記されているのです。鎌倉時代といえば、1192年からという記述もかつてと変わっています。「歴史は生きもの」というのがよくわかる事例といえるでしょう。

明智光秀は「敵は本能寺にあり」とはいってない

歴史上の名言についてですが、「それ誰が聞いていたんだ」などと疑問に思ったことはないでしょうか。確かに、記録されていた言葉もあるわけですが、実は後世の創作といえるものも、やはり存在しています。

「敵は本能寺にあり」。本能寺の変に際して明智光秀が言ったとされるこの言葉、日本人なら知らない人はいないでしょうが、実は本人の言葉ではないというのが一般的な考えです。

この名句の初出は江戸時代の学者・頼山陽(らい・さんよう)の『日本(にほん)外史』。歴史書ではありますが、現代でいうと司馬遼太郎の歴史小説的なものです。これ以前にこの言葉を聞いた人や記録した記述は存在しません。また、光秀と直接交流のあった吉田兼見(よしだ・かねみ)という公家の日記には「6月2日、明智光秀が信長の滞在先である本能寺を攻め、信長を殺害」と、非常にあっさりした記録が残されているのみで、当の本人が本能寺の現場にいたという確証を持てる史料すらないのが現実なのです。

ただ、日本史上の屈指の名場面や名台詞が存在しないのも寂しいところ。光秀がどこかから指示を出して淡々と進んだ出来事とはあまり考えたくない話ではあります。

「ミステイク」は基本的には名詞

和製英語というものが存在しますが、それ以外にも日本人のイメージとは少し用法が離れた英単語も存在します。

今回のテーマは「間違い」ということもあり「mistake」という単語についてです。日本では「間違える」「ミスをする」のように動詞的な使い方をする人が多いカタカナ語ですが、実は英語では基本的に名詞。つまり「間違い」の意味で、例としては「I found some mistakes.(いくつかの「間違い」を見つけた)」のように使います。

動詞的な使い方をする場合は「make」とともに使います。「I made a mistake.」のような形です。しかし、動詞として使う場合は「I mistook him for ~(彼を~と人違いをする)」のようなものがよくある例なのですが、一般的な会話で用いる表現ではないようです。イディオムとしては文末につける「by mistake(間違えて~をする)」のようなものもあります。

ニュアンスや用法についてはなかなかネイティブではない人間にとって区別は難しいのですが、「ミステイク」については日本的な使いかたをあまりしないと思ってよさそうです。

ホビー=趣味というわけではない

英会話の初歩として「My hobby is~」と好きなことを紹介することがあったと思います。しかし、実はこれは少し違ったニュアンスでとられてしまうことがありうる文章なのです。

「hobby」は確かに「趣味」といえないこともないのですが、どちらかというと「専門的に取り組んでいる趣味」ということです。スポーツでいえば「週1に軽く体を動かす程度」ではなく「大会入賞を目指して仕事以外の時間をほぼすべてトレーニングに費やす」レベルのガチなものです。なので、「My hobby is weight training.(筋トレが趣味です)」といった場合は、ムキムキのマッチョでなくては「何いってるんだ、コイツ?」などと思われてしまいます。

では、ガチ勢以外の人はどういえばいいのか。それは「like to」です。ゴルフ好きで平均80くらいの人なら「hobby」でいえばいいですが、100切りできるかどうかくらいであれは「I like to play golf.」といえば問題ありません。

ジェンナーが牛痘を最初に接種させたのは息子じゃない

近年はワクチンの話題も多くなりました。すると、よく目にするようになるのは、人類初のワクチン開発者であるジェンナーではないでしょうか。

知っての通りウシ由来の牛痘を用いたものであったため、かつての人は「これを打ったらウシになる」などと恐れたりもしました。当然、そんなことはないわけですが、今までに前例のないものを体に入れるのは怖いと思うのは当たり前です。

そんな中、ジェンナーは自らの息子を実験台に使って天然痘の予防法を確立したなどという話をご存じの方も多いでしょう。美談としても伝えられるこの話、実は真実ではありません。

世界初のワクチン接種の実験台になった少年の名はジェームス・フィリップス。ジェンナーという名字ではありません。そこからわかるように、本当はこの子は他人。使用人の息子だったのです。とはいえ、彼の予防法は間違っていたわけではありません。その後の広まりを考えれば業績について疑うところはありませんが、先の美談には少しだけケチがついてしまうというお話です。

ベルリンの壁崩壊は勘違いのため

1961年から28年間にわたりベルリンを東西に分断したベルリンの壁。冷戦の象徴とされるこの建造物、実はある人物の勘違いによって取り壊されることとなったのでした。

1989年11月9日、東ドイツを率いていた社会主義統一党のスポークスマン、ギュンター・シャボウスキーはこれまで厳しく制限されていた、すべての国民の東ドイツから西ドイツへの出国を大幅に緩和すると発表しました。それはいつからなのかという記者の質問に対し、彼は「私の理解では、ただちに」と答えました。すると、ニュースを知った民衆は大挙して壁へ押しかけたのです。

しかし、これは発言者の勘違い。確かに東ドイツは外国旅行の自由化を決議していましたが、発表は翌10日の午前4時まで伏せられる内容でした。しかも、その旅行の自由化もベルリンの壁からの出国を除くもので、すべての人々が自由に西ドイツと行き来できるというようなものではありませんでした。

とはいえ、この勘違いが壁を崩壊させ、翌年には東西ドイツ統一へつながっていったと考えると、この上なく素晴らしい間違いであったといえるでしょう。

マリー・アントワネットは別に感じ悪い発言をしていない

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」。これはフランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの言葉と広く認識されているとともに、平民を馬鹿にした貴族の思い上がった発言として大いに反感をかったものと受け取られています。

確かに、面と向かってこのようなことを言われれば腹立たしいのも確かでしょう。しかし、彼女を少し擁護するならば、このような発言はしていないのです。

この話の元ネタとされるものは複数ありますが、近い時代でいうとルソーが著作中で「農民にはパンがないという話を聞いた高貴な女性が、『それならばブリオッシュを食べればいい』」と返したというエピソードを紹介しています。ちなみに、ブリオッシュはバターと卵をたっぷりと使ったパンの一種です。

そんなありもしない話を「彼女なら言いかねない」などと思わせてしまった理由もいくつかあるようですが、そのひとつには彼女の豪華な生活スタイルがありました。凶作で人々が苦しむ中でも、服飾費に現代でいえば数億円ほどをも費やすなど、民衆にとっては浪費としか思えない無駄遣いをしていたことなどが不満として募り、このような発言をしたというイメージにつながってしまったというのが真相です。

楽市楽座は信長のオリジナルではない

織田信長の政策として歴史の授業でおなじみの「楽市楽座」。それまでの商人は商売をするためには座、つまり、特定の組合に入ることや税を納めることが必要でしたが、それらを撤廃し、だれでも自由に商いができるようにしたものです。

これは古い慣習にとらわれない信長らしい斬新な発想と思われがちですが、実は彼が生み出したオリジナルではありません。

では、そのルーツは誰か。これは六角定頼(ろっかく・さだより)という、現在の滋賀県を勢力下においた守護大名です。彼は今の近江八幡市にあった観音寺(かんのんじ)城の城下町である石寺を1549年に楽市とし、一大商業都市に発展させています。

それに次ぐのは信長かと思いきや、その前の1566年、今川義元の子の氏真(うじざね)が今でいう静岡県富士宮市の浅間(せんげん)大社の門前で開かれていた市を楽市とし、そこまでの関所も廃止しています。それを参考にして発展させたのが織田信長だったのです。なお、信長の楽市楽座としては1577年の安土城のものが有名ですが、それ以前の1567年、斎藤氏を破り美濃を平定した際、城下町の復興と発展のために出したものが最初とされています。

『葉隠』は作者の死後焼き捨てろといわれている

「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」。多くの人が知る有名なフレーズです。では、出典をご存じでしょうか。これは江戸時代の佐賀藩士・山本常朝(つねとも)が口述した武士の心得をまとめた『葉隠』の一節です。

このフレーズ、しばしば「武士ならば後を惜しまず、戦って潔く死ぬことが美徳」のように解釈されていますが、そういうわけではありません。別の箇所には「毎朝毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常住死身(じょうじゅう・しにみ)になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり」とあります。ざっくりいえば「いったん死んだ気になって臨めば何事もうまくいく」といった感じです。

また、この本は現代でこそ多くの人に読まれていますが、それは本意ではなかったようです。彼は武士なら皆これを読んで心掛けろなどと思ってはおらず、むしろ「自分が死んだら焼き捨てろ」とされていました。その理由として、ここには藩士の失態などが辛口コメントともに残されており、誰かに見られると怨恨になりかねないと危惧したためのようです。

しかし、これを筆記した田代陣基(つらもと)という藩士の写本はさらに別の人により書き残され、佐賀藩の秘本として伝わっていきました。活字化されたのは1906年でした。

北枕は風水的にアリ

「北枕は縁起が悪い」。現代ではあまり気にすることは少ない迷信ではありますが、そもそもは仏教に由来しています。お釈迦様が亡くなったときに北に枕を向けていたというのがルーツで、実際に遺体を安置する場合、北枕にすることもあるようです。

そんな頭と北にして寝ることですが、実は風水的にはベスト。「信頼」「落ち着き」「財産」「子宝」といったポジティブな効果が期待できるとのこと。また、地球の磁場の流れに沿っているともされ、睡眠の質が向上して健康的に良いとも言われています。

もう少し細かく見てみると、北東の枕だと「転職」「貯蓄」「相続」「不動産」「変化」などが期待できます。総合的に見ると金運アップといったところでしょうか。

北西にすると「出世」「玉の輿」「援助」「仕事」などの運が向上するそうです。こちらはまさに仕事運です。あまり毛嫌いせずに、北枕を含めた部屋の配置を考えてみるのも運勢的には良いかもしれません。

白虎隊が切腹したのは勘違い、というのは勘違い

戊辰戦争における悲劇のヒーローともいえる白虎隊。しばしばドラマなどの題材にもなり、皆が切腹するシーンなどは涙無くしては見られません。

そんな名場面ともいえるところですが、実は勘違いで発生したともいわれます。1868年8月20日、この日に白虎隊は会津藩の兵力総動員にともない出陣しました。戸ノ口原(とのくちはら)では死に物狂いで戦い、新政府軍をひるませるまでとなりましたが、武器の性能に圧倒され、隊員からは死者も出てしまいました。

そして、退却して悲劇の場面となる飯盛山に向かいます。本来は山頂を目指す予定でしたが、負傷した隊員がいた都合などから中腹が目標となりました。ここで、城下町が燃えているのを城が陥落して炎上していると勘違いして、もはやこれまでと切腹したという話があるのですが、実際は城はまだ無事であることは見て取れたそうです。

しかし、結果としては皆が自刃(じじん)することとなっています。それには城へ戻って戦おうとしたものの、途中で捕虜となり生き恥をさらすのは祖先や藩に申し訳がないという理由があったためでした。こうして、8月23日に若者たちは自決して武士の本分をまっとうしたのです。

祇園祭のちまきが食べ物になったのは勘違いから

「京都三大祭」の中でも知名度がもっとも高いであろう祇園祭。毎年7月には多くの観光客でも賑わうビッグイベントです。

このお祭りと切っても切れない関係にあるのが「ちまき」。知らない人はもち米を使った食べ物のほうを想像してしまうかもしれませんが、茅の輪のことです。

これの由来は、八坂神社の祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、旅の途中でもてなしてくれた説話上の人物である蘇民将来(そみんしょうらい)に御礼として、子孫が疫病にかからないようにするという約束をしたこと。その印として茅の輪をつけさせたというものです。

そんなわけで、「ちまき」を授かった人は1年間の厄除けを願って飾るわけですが、名前からして食べ物と勘違いする人が多かったようです。そこで、2006年に祭りで使う山鉾のひとつを管理する黒主山(くろぬしやま)保存会が、生麩でできた「食べられるちまき」を販売しました。参加された方はせっかくなので両方のちまきを手に入れてみてはいかがでしょうか。

「豆腐」と「納豆」は字を間違えたという説は間違い

豆腐は漢字で「豆が腐る」と書きます。とはいえ、製造には綺麗な水が不可欠で違和感があります。一方の同じ大豆を原料とした納豆のほうもみてみると、字面のイメージとしては真逆。なので、両者は中国から入ってきたときに字を取り違えられたなどという説を聞いたことがある人もいるはずです。

豆腐は中国でもそのまま豆腐です。つまり、間違いではありません。「腐る」という字の上には京都府などの「府」というパーツがあります。これは「くら」という意味もあり、古い形では物を納める倉庫の「庫」の文字を使っていました。

そして、この「腐(ふ)」の文字は捕まえた獣の肉を保存している状態を示していました。最初は固いその肉も保存していると食べられる程度に柔らかくなります。それが転じて肉に関わらず、広く柔らかいものを指すようになりました。そのため、豆腐とは「柔らかい豆」という意味で、決して間違いではないのです。

日本で初めてラムネを開けたとき、銃声と勘違いされた

縁日などでラムネの瓶を開けると「ポン」といい音がします。これだけでどこか風情があるものです。

ラムネといえばビー玉入りの瓶。この形式の瓶を発明者のハイラム・コッドにちなんでコッドびんといいます。1872年のイギリスで作られたもので、次第にアメリカなどへも広まり、日本には1887年に登場しました。それ以前はコルク栓を用いていましたが、コスト的に高かったり、密閉性が甘かったりといった問題があったそうです。

そんな旧式の瓶が日本にやってきたのは1853年、ペリーの黒船とともにでした。彼はラムネの原型となるレモネードを幕府の役人たちに振舞おうとしました。そして、栓を開けると例の音が大きく鳴り響きました。ところが、予備知識のない武士たちは発砲音と勘違いして、思わず刀に手をかけたといいます。

そんなレモネードですが、1865年には日本でも販売が始まっています。当時は「レモン水」という名で売られていたのですが、この名称は定着せず、レモネードのなまった「ラムネ」が広まっていったそうです。

源義経は相手の判断ミスを誘うために人の家を燃やした

源平合戦で大活躍した人物といえば源頼朝の弟である義経。俱利伽羅峠の奇襲作戦や壇ノ浦での八艘飛びなどがよく知られます。しかし、彼は勝利のためにはた迷惑な行為もしています。それは「扇の的」のエピソードでも知られる屋島の戦いでのこと。

舞台となったのは現在の香川県。平家軍は待ち伏せしやすいこの地で源氏を待ち受けていました。そして、大阪方面、つまり北寄りからの襲撃を予想し、水軍を配置します。ところが、義経は夜中に船を出し、今の徳島県、つまり平氏の予想の反対方面に上陸します。そして、屋島に向かって進軍し、敵陣近くまでたどり着きます。

そこで彼が行ったのは民家への放火。北の海に備えていた平氏は大混乱。さらには火の手を見て大軍が押し寄せてきたと勘違いし、次々に海へ逃げていきました。勝利した源氏はいいのですが、家を燃やされた人にとってはいい迷惑というお話です。

タワーブリッジ=ロンドン橋ではない

ロンドンの名所といえば何を思い浮かべますか。数多くあり過ぎてひとつに絞るのは難しいかもしれませんが、「ロンドン橋」はその候補のひとつになるでしょう。その理由には、日本でもおなじみのマザー・グースの歌『ロンドン橋落ちた』があるかもしれません。

では、その「ロンドン橋」をイメージしてください。中には2つの塔に挟まれた跳ね橋が出てきた方もいると思います。しかし、それは不正解。あなたがイメージしたのは「タワーブリッジ」で「ロンドン橋」ではありません。

実際、「ロンドン橋」で画像検索すると先のタワーブリッジが出てきてしまうことも多々あるので仕方ありませんが、本当のロンドン橋はそこからテムズ川を数百mほどさかのぼったところにあります。そのビジュアルですが、正直言って地味。コンクリートでできており特に目立つところはありません。

しかし、かつてはテムズ川にかかる唯一の重要な橋でした。西暦46年からの歴史を持ち。防衛のために焼き落されたという過去もあります。かつての石造りの橋は競売に出され、アメリカの実業家が落札してアリゾナ州へ持っていきました。その際も実業家がタワーブリッジと間違えて買い取ったという噂もあります。

永代供養は必ず永久に供養することとは限らない

少子化であったり面倒ということであったり、先祖代々のお墓を永代供養とする家も多いようです。

ただ、この「永代」の言葉、認識と違ったりすることもあるので要注意です。おそらく一般の方は今あるお墓をお寺や霊園が永久に供養してくれると思うのでしょうが、そうとは限りません。

たいていの場合は一定期間が過ぎると境内などにある合葬墓へ合祀されて、そこで供養をされるという形になります。一族が絶えてしばらくするとお墓も取り壊しになってしまうのです。当然、破損などの問題もあるので仕方ない話です。

ところが、墓地の契約の際に「永代使用料」というお金を支払っているのでは、と疑問に思う方もいるはずです。これはその土地の使用権ということのみで、お墓の維持や管理については別問題となります。要するに「使用料の滞りがなく、お墓の管理を行っているなら継続してお墓を置いていても良い」という話です。後々のトラブルを避けるため、細かい確認をしておくといいかもしれません。

うっかりで平家を攻撃して敵対した人物がいる

うっかりミスというのは誰しもあるものです。しかし、中にはとんでもない損害を出して後の運命に大きな影響を与える人もいたようです。

今回話題となるのは大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場した和田義盛。幕府では武士をまとめる侍の別当、つまり長官を務めた無骨な人です。彼がその役割を得たのにはちょっとしたエピソードがあります。石橋山の戦いで敗走する源頼朝に合流した彼は、勝利したらこの役職に任じてほしいと直訴します。この勝利を疑わないポジティブさが源氏の士気を高めたといいます。

このように、義盛は源氏大好き人間だったのかというとそういうわけでもありません。実は、頼朝の挙兵の報せを受けて駆け付けようとしたとき、うっかり戦う気のない平家軍を攻撃してしまい、双方に被害が出たために敵対せざるを得なくなったところもあるのです。

あまり物事を深く考えなさそうなこの人物ですが、武士だけあって戦いの腕は見事なもの。特に弓の技術は優れていたようで、頼朝を暗殺者から救ったという逸話なども残っています。最期はいわゆる「和田合戦」にて北条氏に敗れてしまいますが、功績は無視できないものといえるでしょう。

風邪の時に無理して食べるのはよくない

風邪をひいてしまったとき、よくいわれるのは「しっかり栄養を取って休む」ということ。とはいえ、具合が悪いときは食欲があるはずもなく、多少でも食べやすいおかゆなどで対処します。

では、栄養をつけるために多少無理をしてもいいものを食べるのはどうなのでしょうか。病気のときは体力を消費しているので、スタミナがつくステーキでも食べれば回復が早くなるのでは、というのはわからないでもない話です。

しかし、それは病人には禁物。分厚い肉やこってりした炒め物のような高カロリー・高たんぱくの食事は消化に負担がかかりますし、かえって体力を消耗させることとなります。

そのため、先のおかゆのような、消化しやすい食べ物を可能な範囲で摂取するのがベストです。ちなみに、発熱でエネルギーが消費されいるので、糖質メインがオススメとされます。ただし、水分補給に関しては十分に行うのが大事です。

2022年にメジャーリーグで起こったトリプルプレーは勘違いから

野球のダブルプレーは毎試合といっていいほど見られますが、トリプルプレーとなると相当なレアさ加減。そんな中でも2022年に起こったプレーは146年の歴史で初の珍事です。

現地で7月4日のツインズ対ホワイトソックス戦。ホワイトソックスのAJ・ポロックは無死一、二塁からセンター後方へ深い打球を打ち上げました。それをツインズの中堅手バイロン・バクストンは背走しつつフェンス手前でキャッチするという好プレーを披露。一塁走者のヨアン・モンカダは二、三塁間でタッチアウト。二塁走者のアダム・エンゲルも飛び出していたため、セカンドベースを踏むことでアウトと、見事三重殺が決まりました。

この「8-5」、つまり、センターからサードのトリプルプレーというのはメジャー史上初。ファンは「ひどい走塁だ」などと酷評したのですが、ランナー2人はセンターが捕球しているのを確認できず、勘違いで跳び出してしまったようでした。

パナマハットはエクアドル生まれ

オシャレなあなた、夏場はパナマハットをかぶることもあるでしょうか。このパナマハット、トキヤ草(そう)という植物の葉を細く裂いた紐状の繊維を編んで作ったものです。そのため、柔らかい上に軽く涼しいという、夏にうってつけの帽子です。

暑さ対策と名前から中米のパナマ発祥の帽子と思う方もいるでしょうが、実は今でいうエクアドルの人々が日差しよけにかぶっていたものがルーツとされます。それなら「エクアドルハット」になるはずです。

では、パナマはどこから出てきたのか。それは原料。トキヤ草といわれてもピンとこない方が大半でしょうが、これの別名がパナマ草。つまり、パナマ草で編んだ帽子だからというのが由来です。

この草の利用には大変手間がかかります。日光が柔軟性を奪ってしまうこともあり、収穫は朝のうちに行うというのはその第一段階。繊維の抽出には手作業でいくつもの行程をこなします。近年では他の繊維を使ったものもありますが、先のパナマ草を使ったものは「本パナマ」と区別されています。また、「エクアドルのトキヤ帽子の伝統的編み込み製作方法」は、2012年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。伝統的な帽子の品質の良さは世界的に認められているのです。

線の引き間違いでできた国がある

国のルーツを調べてみると実に色々な経緯がありますが、中には「国境線の引き間違いでできた」という、驚きの国がありました。

とはいえ、現代の話ではありません。時は15世紀のヨーロッパ、現在のイタリアが舞台です。当時のローマ教皇エウゲニウス4世は、激しい権力闘争の渦中にありました。その際、ルネサンスの保護者としても知られるメディチ家に借財を申し入れました。その資金力で争いを収めたまでは良かったのですが、借金返済のめどは立ちません。そのため、質入れした土地を譲り渡すことになりました。

ところが、そのとき境目とした川が実は二又に分かれていたのですが、誰もそれに気づいていませんでした。双方が元の領土にもっとも近い岸に線を引いたため、川の間にあったコスパイアという村が空白地帯となってしまいました。

どこからも支配をうけることがなくなったその村の住民は早速独立宣言をして国旗と紋章をデザイン。しかし、統治機関については後回しとなっていました。そんな事情もあり、短命に終わると考えられたこの共和国ですが、400年ほども続きます。その背景にはカトリックで禁止されていたタバコ栽培の独占があったのです。後に併合される際もその栽培特権が認められています。

ライト兄弟は2人ではない

人類初の飛行を成し遂げたのはライト兄弟。これは小学生でも知っている話です。では、「何人兄弟だった?」と聞かれると、おそらく多くの人は2人と答えることでしょう。実はこれは不正解。何と7人もいます。

では、7人で偉業を成し遂げたのかというと、そういうわけではありません。確かに、飛行実験に成功したのは2人。ウィルバーとオーヴィルです。しかし、前者は三男、後者は五男で、関与していない身内がたくさんいたのです。

なお、ライト兄弟より先にプロペラ式模型飛行機の実験に成功している日本人がいます。それは二宮忠八(にのみや・ちゅうはち)です。彼はその後も有人飛行を想定した機械の開発を進めるのですが、エンジン部分を残した時点で日清戦争に従軍。そのさなかに実用化を申請したものの、戦況悪化のため却下に。戦後も製作を続けたのですが、ライト兄弟に先を越されてしまいました。もしかすると、日本が航空機発祥の地となったかもしれなかったお話です。

ゲーテの最期の言葉とされるのはニュアンスがだいぶ違う

『若きウェルテルの悩み』などで知られる文豪ゲーテ。その最期の言葉とされる「もっと光を!」のフレーズもよく知られます。

文才のある人らしい誌的な表現と思うところですが、このニュアンスは想像とかなり違います。この言葉を初めて紹介したのは、彼の主治医であったフォーゲルで、その際も「離席している間にそういった」という伝聞的なものです。さらに「あらゆる点で常に暗闇を嫌っていたこの人の最後の言葉であったといわれている」としています。

ゲーテ研究家のシュデコップという人物は、召使に向かって「もっと光が入るように、寝室のよろい戸を開けてくれ」といって扉を開けさせたとしています。

いずれにしろ、あふれる文才から出てきた抽象的な言葉というより、「暗いからちょっとドアを開けて」くらいの、日常生活のワンシーンのようなものだったようです。

麻婆豆腐の「麻婆」は人名ではない

中華料理で何がお好きですか。今回は日本でも人気が高い麻婆豆腐の名前についての話です。

この「麻婆」とはある女性に由来しています。そこで「麻(マー)というおばあちゃんが発案者」などと誤解している方が多いようです。これは人名ではありません。「麻」とは顔にできる「あばた」のこと。「婆」は日本語でイメージする「おばあちゃん」ではなく「身持ちの固いおばさん」というような意味です。

かつて四川省の都・成都にチャオチャオという女性がいました。彼女はあばたがあるものの、人に愛される性格でした。そして、豆腐屋と羊肉屋に挟まれた長屋で夫と仲良く暮らしていたのですが、その夫は若くして亡くなってしまいました。その後は再婚もせずにつつましく暮らしたそうです。

とはいえ、何もせずには生きていけません。そこで、生計を立てるため始めたのが両隣の店の食材を利用した料理、つまり、今でいう麻婆豆腐だったのです。これは評判となり、多くの人に愛される料理となりました。やがて、彼女が亡くなると、いつしかこれは「あばたのおばさんの豆腐料理」と呼ばれるようになっていったのです。

お菓子の「柿の種」が丸じゃなく長細いのはご当地ネタから

おやつからおつまみまで幅広く食べられる柿の種。そのルーツはご存じでしょうか。

これを初めて作ったのは現在の新潟県長岡市の企業・浪花屋製菓株式会社。当初は普通の小判型をしたおかきなどを作っていたそうです。ところが、ある日、創業者の奥さんが製造用の金型を踏んでゆがませてしまいました。仕方なくそのまま生産を続けていたのですが、あるとき「これは柿の種に似ている」として名前がつけられたそうです。

とはいうものの、多くの人が感じる疑問があります。果物の柿、種は丸くありませんか。お菓子のほうはどう見ても三日月のような形をしています。これが「柿の種」と認定されるのにはちょっとしたご当地ネタがあります。

会社のある新潟県には「大河津(おおこうづ)」という地域独特の品種があります。その種を見てみると、確かに長細い形をしているのです。もし、違った地域の企業だったらこのネーミングはなかったことでしょう。

海苔の消費量世界一は日本ではない

お寿司やおにぎり。定番料理にも使われる海苔は、日本人にとってごくごく身近な食材です。一方で、外国の料理を見てみると使われていることはほとんど無いように思えます。そこで、自然と「海苔の消費量世界一は日本」となりそうですが、実はそれは間違いです。

海苔の消費量世界一はお隣の韓国。国民ひとり当たりの年間消費量は180枚ほどで、日本はそれより100枚ほど少なくなっています。韓国海苔は確かにおいしいのでわかる話ではあります。

他にも中国は海苔の養殖を行っています。ご近所なのでまだイメージしやすいですが、変わったところではイギリスのウェールズも古くから海苔を食べていた地域です。ここではスープで煮込み、味付けをして肉に添えるというような食べ方をしていたそうです。

かつては「ブラックペーパー」などといって敬遠されていた海苔ではありますが、近年は寿司などの影響もありアメリカでも食べられるようです。カリフォルニアロールなど以外にも、パスタや肉料理に取り入れられています。もしかすると、世界的な食材として広がっていくかもしれません。

やせていても糖尿病になる

気を付けたい成人病のひとつに糖尿病があります。万一かかってしまったときのことを考えると、何としても予防したいところ。

とはいえ、美味しいものをたくさん食べたいのは誰しもの欲求。そこで、自分は太っているわけではないので、まだまだ大丈夫という考えを持つ方、それは大きな間違いです。

糖尿病を患う方で太っている人の割合は6割ほど。残り4割はふつうか痩せている人ということになります。他にも糖尿病に関する誤解としては、親がそうではないから自分は関係ない、まだ若いから患うことはない、などといったものがありますが、こちらも大きな間違い。遺伝や年齢は関係ありません。

また、自覚症状が出ていないにも関わらず病気が進行している人も半数近くといいます。予防の三本柱とされるのは「食事、運動、体重コントロール」。普段からこれらを気を付けて予防しましょう。

女子高生のジョークで大変なことになった信用金庫がある

「取り付け騒ぎ」という言葉をご存じでしょうか。日本史でも登場しますが、金融機関への不安から、預金を引き出すために人が殺到して混乱が起こることです。

この騒動、実は日本の経済がある程度成長した時期でさえ起こっています。時は1973年。10日ほどでおよそ14億円が引き出された「豊川信用金庫事件」がそれにあたります。

愛知県に本社を置くこの信金は特に経営に問題があったわけではありませんでした。しかし、電車内での女子高生の会話がパニックの引き金となります。その内容は、「信用金庫が危ない」というもの。これはそこへ就職が決まった友人を「銀行強盗が入るかもしれないから危ない」とからかった意味合いでした。

よく考えれば女子高生がそんな内容をつかんでいるわけもないのですが、それに聞き耳を立てていた人が経営危機と誤認して家族へ伝えたため、とんだ騒動となってしまったのです。現代でもSNSで根拠のない話が広められることもある昨今。リテラシーには注意しましょう。

メソポタミアでの太陽の動き方の仮説が独特

東から昇ったお日様が西へ沈むというのはごく当たり前の考えです。しかし、古代には地球が球体であることや惑星の自転や公転といった概念が存在していなかった時代もあります。

当時の学者が色々な説を真剣に考えていたわけですが、現代から見ると非常にユニークと思えるものも少なくありません。

たとえば、メソポタミア文明の説を見てみましょう。ここでは太陽は西に沈むと地下のトンネルを通って東に出てくると考えられていたそうです。地中にとてつもない長さかつ、太陽の熱に耐えられる道があるというのは少し笑えてしまうところもあります。

とはいえ、こうした間違いや勘違いも事実を見出すのには欠かすことができない道のりだったといえます。こうした様々な試行錯誤があった上での正解があるので、笑うのも失礼な話かもしれません。

本物と勘違いされてクレームがきたアート作品がある

仮に生きものを樹脂などで固めたアート作品があったとしましょう。それを見た人は「美しい」と感じるより、「命を何だと思っているんだ」と憤慨するに違いありません。

実際にそんなことをしたら大問題ですが、そう勘違いされるほどリアルで見事な作品を作り上げてしまった人がいます。

現代芸術家の深堀隆介(ふかほり・りゅうすけ)がその人です。彼の作品のこだわりは金魚。茶碗や机の引き出しといった日用品に、透明樹脂とアクリル絵の具を利用して超リアルな金魚の絵を書き入れています。その精緻な様たるや、あたかも本物の金魚を流し込んで、接着剤のようなもので固めてしまったかのようです。

実際、本物の金魚を樹脂で固めてしまうなどけしからん、といったクレームが入ったそうです。しかし、これは作者にとってはこの上ない賞賛の言葉といえるでしょう。

戦国時代のウマはポニーくらい

歴史物のドラマや映画を見ると、武将役の俳優がウマに乗って颯爽と駆けるシーンもあります。演出なども相まって非常にカッコイイ場面といえるでしょう。

我々はリアルの戦国時代をみることはできませんが、そこから天下無双の豪傑が武器を振り回しつつ敵陣に突っ込む様相をイメージすれば、ロマンを感じざるを得ません。

しかし、実際のところはちょっとがっかりしてしまう光景だったのかもしれません。当時のウマは今のサラブレッドのような立派なものではなく、牧場で子どもが乗れるポニー程度、体高130~140cmくらいだったと考えられています。当然、それで重装備の武将を乗せて駆けまわれるかといえばそんなはずもなく、すぐにバテてしまっていたそうです。

なお、西洋種のウマが初めてやってきたのは江戸時代中期。徳川吉宗が初めて輸入したと伝わります。なので、時代劇『暴れん坊将軍』のオープニングのほうはかろうじて「あったかもしれない」光景といえます。

信長は秀吉をサルとは呼んでない

豊臣秀吉といえば、織田信長から「サル」と呼ばれかわいがられていたなどというエピソードを聞いたことがある人も多いと思われます。その話の知名度からか、実際に創作物などではサル顔で描かれることも多くなっています。

ところが、信長は秀吉を別の呼び名で呼んでいたといわれます。実際には「ハゲネズミ」とサルよりよほどひどいあだ名で呼んでいたそうです。

そのひどい呼称が手紙にも残っています。秀吉の妻といえばねねですが、彼女が夫の浮気癖に悩んで主君の信長に相談の手紙を送った際の返信に「あのはげねずみが、あなたほどすばらしい女性をほかで見つけられるはずないのだから、妻らしく堂々として、嫉妬などしないように。この手紙は秀吉にも見せてやりなさい」と記しています。

堂々と「手紙を見せてやれ」と書いているあたり、普段からそのような呼び名を使っていたことは想像できます。秀吉も主に対しては文句もいえなかったことでしょうが、少しかわいそうにも思えてしまいます。

新選組はあの隊服を着ていたとは限らない

新選組のイメージといえばダンダラ模様の入った浅葱色の羽織。多くの日本人がご存じのはずです。

しかし、あの服。実際に隊士が着ていたわけでないようです。まず、今のところ新選組のメンバーが着ていたとされる羽織はひとつも見つかっていません。しかも、「浅葱色」の解釈もあの色以外にも「薄い黄色」だったなどという説もあり、確定的ではないのです。

新選組の隊員とされる写真が残っており、それには確かにダンダラ模様は見て取れるのですが、袖口のみで裾には入っていないようです。白黒なので色は詳細にはわかりませんが、袖口を見るにかなり濃い色であることが推測されるので、浅葱色に関してはそうだったのではないかと考えられます。

一方で、実際に着ていたと考えられる黒装束は残っています。北海道開拓記念館には永倉新八の遺品だったとされる黒の陣羽織が保存されています。こちらは多少形を変えているとは考えられますが、現存しているので証拠としては大きいものです。しかし、黒装束の集団というのは少し地味。やはり浅葱色のイメージのほうが映えると思ってしまうのは、刷り込みなのかもしれません。

『源氏物語』のオリジナルはもうわからない

古文の教科書で『源氏物語』は必ず扱いますし、日本人でまったく触れたことがない人はいないことでしょう。そんな超メジャーなお話ですが、実は原典と同じかどうかはもうわからなくなっています。

当然ながら平安時代には印刷技術がありません。そのため、手書きで書き写した写本が広まっていくわけです。そして、原本および平安時代の写本は既に残っていません。現在最古のものとされるのが、2019年に見つかった藤原定家による第5帖の「若紫」で、鎌倉時代のものです。

問題は、書き写されるたびに表現や、場合によってはストーリーが少し変わってしまうこと。少々のアレンジなどが加わって、原本からはどんどん離れてしまったという可能性があるのです。

今後、別の帖が見つかればオリジナルにより近づくことはできるかもしれませんが、紫式部直筆のものをそのまま読むということは叶わなくなっています。

夏目漱石はイヌ派

夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』。実際にこの作品に登場するネコのモデルとなった黒猫を漱石が飼っていたという話もあることから、夏目漱石はネコ好きであると思いがちですが、そう安直は話ではないようです。

一説に、彼はイヌ派であるといいます。夏目家にはイヌもおり、それには「ヘクトー」というトロイの王子からとった立派な名前がつけられていました。ところが、ネコのほうの名前はというと「ねこ」。名前はありません。ここだけ見れば「吾輩は猫である。名前はまだない」が事実と思えることでしょうが、王子の名がついたイヌに対してはあまりにも雑。そして、ネコは最後まで「ねこ」のままだったそうです。

ちなみに、実際に彼が「自分はイヌ派」と語ったという証言もあるそうです。とはいっても、最初にその「ねこ」を追い出そうとした妻に対して家においてやろうといったのは漱石。初代「ねこ」が往生した後もさらに二匹のネコを飼っています。しかし、3匹とも最後まで「ねこ」だったそうです。扱いがぞんざいなだけで好きだったのか。これは本人にしかわかりません。

両目が描かれている伊達政宗の肖像画はわざと

独眼竜の異名をとる戦国大名・伊達政宗。名前の通り、幼少期に天然痘で右目を失明したことで知られます。ゲームなどを見るとアイパッチをした姿で描かれており、肖像画も右目をつむったようになっているため、一目見ればそのことは誰でもわかります。

ところが、一部の政宗とされる肖像画には成人しているにも関わらず、両目が描かれているものがあります。

これには理由があります。隻眼(せきがん)というと猛々しい武将のようでカッコイイと思う人もいるかもしれませんが、本人にはかなり長い間コンプレックスとなっていたようです。そのため、肖像画を描かせるときには、両眼をきっちり入れるよう指示していたということも伝わります。なので、「独眼でない肖像画だから伊達政宗ではない」などという単純な判別をすることはできないのです。

武田信玄はスマートだった説もある

「風林火山」の旗印で知られる戦国大名・武田信玄。彼のイメージは「動かざること山の如し」ではないですが、でっぷりとした貫禄たっぷりの姿ではないでしょうか。

確かにゲームなどでもそのように描かれることが多いのですが、これは高野山・成慶院(じょうけいいん)の武田信玄像に引きずられたものと考えられます。これに描かれている信玄は坊主頭にヒゲ、恰幅の良い体格は多くの人が思い浮かべる信玄そのものといえるでしょう。

しかし、この信玄、本人を描いたものかは疑問が残ります。着物に武田家の家紋「武田菱」が入っていない。39歳で出家しているはずなのに、どう見てもそれ以上の年齢にも関わらわず、後ろで結んだ髪が残っているなどの点がその根拠です。

では、実際はどうだったのかというと、スマートだったという説もあります。高野山にある持妙院が所蔵している信玄像を見てみると、非常に引き締まった姿で描かれています。こちらは若々しく出家の年齢とも矛盾が生じませんし、家紋もちゃんと入っています。こちらが本当の姿であれば、やせ型イケメンで描かれる信玄に更新しなければなりません。

カエサルは「ブルータス、お前もか」とはいってない

古代ローマの名シーンのひとつといえば、カエサル暗殺が挙げられるでしょう。子飼いであったブルータスが敵に加わっているのをみて「ブルータス、お前もか」とつぶやいたことは、誰しも知っているエピソードです。

しかし、この名台詞、誰が聞いたのか疑問に思うことでしょう。その答えは「よくわかっていない上、本当にいったか疑わしい」が正解です。事件現場で「息子よ、お前も私と同じ末路をたどるだろう」という言葉を残したとはかつてから言われています。この息子はブルータスのことです。ところが、それを記録したのは誰かなどは一切わかりません。それより、実行犯たちは「カエサルは死んだ」と叫びながら逃げ去ったといいます。

なお、この際の襲撃犯は「ひとり1回だけカエサルを刺せる」というルールで臨んだそうで、23か所もの刺し傷があったといいます。その後、「世界初とされる検死」が行われたのですが、それによると致命傷は胸の傷一か所だけだったと伝わります。つまり、その一撃さえなければ歴史が変わっていた可能性もあるのです。

坂本龍馬は新選組に暗殺されたわけではない

日本史上のミステリーのひとつに坂本龍馬暗殺事件があります。

1867年の冬、京都河原町蛸薬師の醤油屋さん・近江屋の二階に潜伏していた坂本龍馬と中岡慎太郎は刺客によって討たれます。あっという間の出来事でした。その後、わずかに息のあった中岡慎太郎から土佐藩士が話を聞いたところ、敵は知らない者だが、おそらく新撰組のしわざであろうと語ったとされます。

しかし、新選組はその夜会合を開いており、今でいうアリバイが存在します。その他の要素を加味してみても坂本龍馬らを襲撃する意味がないなどの理由で新選組の行動としにくいところがあります。また、明治時代にも様々な証言が出てきたりもしたのですが、確定的な情報がありません。なので、新選組がこの歴史を変える大事件を起こしたとはいえないのです。

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